オホーツク管内の人口減少の実態

まことにローカルな話であるが、ネットを見ていたら1960年国勢調査の北海道市町村別の人口が、多い順から掲載されていた。さっそく、オホーツク管内の全26市町村の人口を見てみると、管内のピーク時の人口と言えるもので、現在の市町村人口と比べてみたくなった。

そこで、まずは60年当時の全26市町村の人口を多い順に並べてみた。

(1)北見市6万6932人(2)網走市4万4052人(3)紋別市4万281人(4)美幌町2万6207人(5)留辺蘂町1万9923人(6)遠軽町1万9177人(7)斜里町1万8371人(8)津別町1万5676人(9)佐呂間町1万4797人(10)滝上町1万3437人(11)置戸町1万2562人(12)湧別町1万2192人(13)小清水町1万1517人(14)清里町1万1012人(15)上湧別町1万792人(16)訓子府町1万644人(17)雄武町1万518人(18)常呂町1万368人(19)女満別町9764人(20)興部町9363人(21)端野村8193人(22)丸瀬布町7746人(23)生田原町7035人(24)東藻琴村5505人(25)白滝村4797人(26)西興部村4265人

次に紹介するのは、60年前の人口と2020年国勢調査の全18市町村の人口を比べて、その割合・増減を求め、減少率が小さい方からの市町村である。

(1)北見市109・7%・11万5608人(2)網走市81・2%・3万5783人(3)美幌町71・4%・1万8705人(4)斜里町62・3%・1万1443人(5)紋別市52・7%・2万1224人(6)遠軽町49・7%・1万9250人(7)大空町44・7%・6821人(8)訓子府町44・0%・4682人(9)小清水町40・1%・4621人(10)雄武町40・0%・4204人(11)興部町38・8%・3629人(12)湧別町36・0%・8276人(13)清里町35・3%・3888人(14)佐呂間町33・0%・4879人(15)津別町27・9%・4369人(16)西興部村24・7%・1052人(17)置戸町22・1%・2776人(18)滝上町18・0%・2421人

ということで、北見市はそれなりに増加しているが、そのほかの市町村は全て減少していた。その中でも、吾輩が中学時代を過ごした滝上町が、18%しか人口がいないことには驚いた。どうりで、毎年中学の卒業生が15人程度であるが、吾輩は「団塊」のすぐ下の世代であるが45人のクラスで5学級あり、街外の同級生を加えると1学年300人近く在籍していた。それを考えると、まさに様変わりの状況にある。

しかしこの減少率の順位には、抜け落ちた地域・旧町村がある。つまり、北見市に吸収された旧留辺蘂町、旧常呂町、旧端野村、遠軽町に吸収された旧丸瀬布町、旧生田原町旧白滝村、そして湧別町として合併した旧湧別町と旧上湧別町大空町として合併した旧女満別町と旧東藻琴村である。それらは、20年の国勢調査での人口が分からないので無視したが、実際には20%以下になった旧自治体もある筈だ。

例えば、旧留辺蘂町は相当人口が減少していると想像する。そのためか、北海道教育委員会は生徒数の減少傾向が続くことから24年度に「留辺蘂高校」の生徒募集の停止を決めたが、地元の有志の努力などで今年4月の新入生が22人に達したことで、地元では廃校問題で混乱が起きている。その背景には、入学者10人未満の年が2年続くと高校の募集停止に繋がるという決まり事があるからだ。

この約60年間を見ると、日本は9430万1623人から1億2614万6099人へ33・8%増加し、北海道も503万9206人から522万4614人へ3・7%増加しているが、オホーツク管内は41万2689人から27万3630人へと逆に33・7%も減少している。現在に目を向けると、北海道は全国平均を上回る速さで人口が減っているが、オホーツク管内はさらに減少しており、これだけ減少している地域は全国的にも珍しいのではないか。

オホーツク管内自治体が、ここまで人口激減を招いた要因は、急激な少子高齢化による生まれた子どもの数が亡くなった人の数を下回る「自然減」のほか、林業不振による管外に転出した人が管内に転入した人を上回る「社会減」もあるのではないか。その象徴的な出来事は、オホーツク管内から北見営林局を始めとして営林署が消滅したことで、これが管内の人口減少を加速させ、経済活動にも相当な影響を与えたのではないか。

昔、北見営林局や営林署に勤めていた父親から「留辺蘂営林署の機工課は全国で一番大きい」と聴いたことがあるが、それくらい留辺蘂営林署は多く職員を抱え、木材の切り出しに勤しんでいた。また、滝上町には「滝上営林署」と「北雄営林署」という2つの営林署が存在したが、同じ自治体に2つの営林署が存在したのは、この滝上町だけである。

現在の林業不振の原因としては、木材価格の低迷や林業の担い手不足などは理解しているが、それでも「どうにかならないものか」といつも思っている。そして抜本的解決には、生産性向上や国産材の需要開拓と言われているので、昔のように林業オホーツク管内の基幹産業になるとは考えないが、二酸化炭素(CО2)を削減する「脱炭素社会」実現の課題解決を前に、少しでも木材の利用や森林再生に従事する林業就業者が増えて、街の経済に貢献できないものか、といつも考えるのだ。

※後記ー滝上町の同級生・前町長から次のようなメールが送られてきた。

ー減少率の大きい滝上町、置戸町、津別町は何れも林業で栄えた町で営林署もあった。二つあった滝上のもう一つは北雄営林署で濁川市街にあった。この三町、高齢化率も管内ベストスリーで40%後半である。滝上は、昭和29年「洞爺丸台風」で国有林の半分が倒れ、風倒木処理と苗木の植え付けで大量の営林署の人員(1000人を超える)が入った。その仕事が終わって、一気に流失したことも、過疎化に拍車をかけた。ー