遠軽町を紹介するテレビ、新聞、新刊

日曜日の午前9時からは、毎週BS日テレの「北海道すたいる」を観ているが、1月15日に限って、9時11分から見始めてしまった。ところが、この番組で取り上げていたのは「遠軽町」で、驚きながら後の放映を見続けた。しかし放映後、残念な気持ちが残ったので、試しにネットで調べてみると、再放送が1月29日にあるが分かった。

改めて紹介するが、来週日曜日に「北海道すたいる『オホーツクの町・遠軽町で愛されるグルメ&国宝(遠軽編)』」が再放送されます。番組広報では「オホーツク地方に位置する遠軽町は日本最大の黒曜石の産地で国宝に指定されたものも!地元で愛されるグルメや木のおもちゃを集めたミュージアムなど遠軽町の魅力満載!」と記されるともに、放映ではお勧めスポットとして次の4カ所が取り上げられる。

遠軽町埋蔵文化財センター(北海道遠軽町白滝138−1)℡:0158−48−2213

○カフェ「森の暮らし」(北海道遠軽町白滝157−1)℡:090−1304−1843

○木のおもちゃワールド(北海道遠軽町生田原143−4)℡:0158−49−4022

(番組の途中に、北の駅舎として石北本線(新旭川駅〜網走駅)の「生田原駅」、第14話)

○カフェ「Cafe de TIROL」(北海道遠軽町大通南1丁目)℡:0158−42−4933

次は話が変わって、1月18日付け「北海道新聞オホーツク版」に、遠軽支局の記者による「お薦めドライブコース」が掲載された。

案内人になるのが好きだ。

遠軽支局に赴任して1年半、お気に入りの観光スポットや飲食店に出合う度、進んで周囲に紹介している。教えた相手の笑顔を見ると非常にうれしい気持ちになる。

友人や家族が訪ねて来た際、自家用車で町内と近郊をドライブする。個人的にお薦めするのは、遠軽でアクティビティ「ジップライン」→北見市常呂で昼食「ほたてづくし定食」→佐呂間でデザート「ジャージーソフト」の流れ。これに春夏秋冬の催しや景勝地を一つ加えればかなり満足度だ。

ただ最近、懸念しているのがルートの固定化。2回目の遠軽来訪者に楽しんでもらえるツアーづくりが難しいのだ。無理のない移動距離で管内3〜5カ所を巡るようなコースが他にないか、取材先への移動中によく考えている。

加えて、この地域の観光資源はチューリップやコスモスといった花、流氷などの「季節もの」に頼りがちなのも悩ましい。各地の首長さん、通年型をもっと増やしませか。

この記事を補足すると、「ジップライン」は遠軽町の道の駅に存在するもので、滑車付きのハーネス(安全帯)を体に着け、山中に張ったワイヤロープを滑り降りるものです。全長は1135㍍で、高低差は250㍍という。

「ほたて定食」に関しては、旨くて当然です。常呂エリアはホタテ養殖発祥の地で、「ホタテ王国」とされており、水揚げ高は年間約5万トンです。さらに常呂は、カーリングの本場ということで、国内最大の競技場数6シートを備えた専用屋内施設が存在します。この施設は誰でも見学できるので、行った際には是非とも訪ねてみて下さい。

続いて、佐呂間でデザートと書いているが、おそらくサロマ湖畔に存在する「道の駅」と考えます。この駅の道は、海産物などを炭火焼きで提供する飲食店が併設され、それなりに充実した“食を提供"しているからだ。また、道の駅付近の道を山側に行くと、サロマ湖の全景を眺望できる「サロマ湖展望台」(1989年オープン)に行けます。この景観は絶賛・圧倒的で、皆さんに見てほしい観光スポットです。

最後は、1月4日付「北海道新聞」に掲載された、遠軽町まちおこしグループが編集した新刊書「森林鉄道蒸気機関車 雨宮21号」(編者=夢里塾・森林鉄道蒸気機関車雨宮21号編集委員会、発行所・北海道新聞社、2022年12月24日初版第1刷発行)を取り上げる。内容は、遠軽町の「丸瀬布森林公園いこいの森」で運行し、北海道遺産に指定されている蒸気機関車(SL)「雨宮(あめみや)21号」の歴史をまとめたもので、木材運搬で活躍した昭和初期からの貴重な資料や証言を多数収めている。

「雨宮21号」は、東京の雨宮製作所が1928年(昭和3年)に製造した国産初の森林鉄道蒸気機関車で、部品を鉄道で運んで旧丸瀬布町で組み立てられた(9月24日に完成)。その後、58年(昭和33年)にディーゼル機関車に移行されるまでの30年間、丸瀬布の森林鉄道として木材を運搬したほか、地元住人の足として活躍して、地域の人々から「カンコ(官行)の汽車」(国の汽車)と呼ばれて親しまれてきた。76年(昭和51年)には林野庁から旧丸瀬布町に譲渡されたことで、「雨宮21号」を運行させる「丸瀬布森林公園いこいの森」が整備され、79年9月の試乗会開催からは森林鉄道蒸気機関車の日本唯一の動態保存が実現し、82年5月からは現在の8の字周回軌道での運行が開始された。

吾輩は、高校2、3年生の時に丸瀬布に居住していたが、その時には既に街中から森林鉄道の関連施設や遺構を見ることもなかった。また、父親は乗用車を運転しなかったこともあり、街の奥地に所在する温泉施設も知らないで、旧丸瀬布町から上京した。退職後、2回ほど「丸瀬布森林公園いこいの森」に行ったが、森林鉄道はまだまだ先の奥地まで運行されていたことを知ると、その鉄路の長さには驚くのだ。

ところで、58ページに「この橋を渡りきったところに担当区事務所があるが、武利第一の佃主任、第二の鍛冶主任はともに不在、佃さんの奥さんが対応してくれる。」という文章がある。この文章を読んだ瞬間、佃主任は、遠軽高校から長男は東京大学理科二類三菱重工業副社長、次男は京都大学文~大阪教育大学教授、三男は北海道大学に入学した「秀才三兄弟」の父親ではないかと思った。吾輩が隣街の旧白滝村に居住した時には、三兄弟の父親は白滝営林署に勤めていたから推測した次第である。