「天声人語」が取り上げた志賀直哉

本日の朝日新聞天声人語」を読むと、吾輩が12日前に取り上げた小説家・志賀直哉といい、歴史学者磯田道史といい、題材はほぼ同じであった。そこで、この「天声人語」を残す意味から紹介することにした。

作家の志賀直哉スペイン風邪が猛威をふるった1918年の秋、家族や使用人にたびたび言いつけた。「むやみに外出するな」「人混みを避けよ」。こっそり芝居見物に出かけたお手伝いの女性に腹を立て、クビにするといきり立ったこともある。

実体験をつづった小説『流行感冒』によれば、口うるさく注意した本人が感染する。40度近い高熱、足や腰のだるさ……。まもなく妻や娘も発症してしまう。解雇されかかった女性は免疫を得ていたのか元気で、献身的に看病する。作家はわが短慮を反省した。

この短編を読み直したのは、歴史学者磯田道史さんが「コロナ禍に教訓が多い」と近著で紹介していたから。なるほど小言はどれも「3密」回避の理にかなう。ピリピリした言動は「自粛警察」を思わせる。一足先に免疫を得た人々を大切にすべし、とも教えてくれる。

年譜によると、一家は当時、千葉県我孫子市に暮らした。収まったかに見えて襲いかかる感染症の波は、分別盛りの作家を幾度も不安に陥れる。右往左往の日々は良質なルポルタージュのようである。

読み終えて、我孫子市内の旧宅跡に復元された書斎を訪ねた。6畳一間の平屋建て。柱や障子、床の間を見ていると、幼い娘を守りたい一心で感染予防に腐心する文豪の声が幻のように響いた。

作家の熱はすぐ下がった。回復後、『小僧の神様』『暗夜行路』など代表作を相次いで世に出す。あすは1971年に88歳で亡くなった作家をしのぶ直哉忌である。

2つの文章を読み比べると、内容がほぼ同じであったと思います。と同時に、志賀直哉我孫子市での生活の一部がわかります。吾輩からすれば、あの天下の「天声人語」と同じ題材で文章を作成できて嬉しい限りです。