全国の地域紙は生き残ってほしい

5月14日深夜の番組、NHKBS1の「四国推し!街の新聞の最後の日々」を観て、さっそく街の小さなニュースを伝えている地域紙の現状を知りたく、書名「新聞のある町ー地域ジャーナリズム」(著者=四方洋・元「サンデー毎日」編集長、発行=2015年7月15日)を購入した。

吾輩は以前から述べている通り“新聞大好き人間"で、したがって番組が取り上げた愛媛県八幡浜市の地域紙「八幡浜新聞」(1926年創刊、発行部数3000部〈夕刊〉、月額3000円)の店じまい顛末に感動したのだ。番組を要約すると、この街に生まれ育った夫婦二人と社員2人の計4人で新聞を発行し、最後の1カ月取材を受けて昨年12月27日、地域住民に惜しまれながら廃刊した、という筋書きであった。

本書は、ローカル新聞26紙を取り上げているが、地域紙の現状について次のように記している。

ーよく地方紙と間違えられた。地方紙は県紙ともよび、県庁所在地に本社があって県(府県も含む)全体をカバーしている。地元のニュースだけでなく、国際関係や全国の情報ものっている。全国紙と対抗して読者獲得にしのぎを削っている。地域紙は一つの圏域をカバーする。部数も1万部に満たないものから10万部を超えるものまで、日刊が多いが週3日刊や週刊もある。「日本地域ガイド」2014〜15年版(日本地域新聞図書館)によると全国で204紙。(「デーリー東北」を含む)うち26紙は日本新聞協会に加盟している。ー

また、地域新聞が盛んな条件として、

①県庁所在地から離れていて、独立した圏域になっている。

②昔の藩の単位で固まっている。

③政争が激しかった。

ーと解説している。さらに、地域の独立心が強いほど郷土紙は大きく伸びる、とも記している。

ということで、小藩が11も存在した長野県が、地域新聞の数が22と最も多い。次いで北海道20、新潟県16、東京都10、静岡県9と続く。

そういっても、最近も地域紙が廃刊している。例えば、栃木県足利市の「両毛新聞」(1946年創刊、発行部数3300部、月額1500円)で、今年5月9日付で休刊した。そもそも両毛地域とは、栃木県の足利市佐野市群馬県桐生市太田市館林市の5市を中心とした一帯を差し、ある面では栃木県とも群馬県にもなじまない地域と言える。そのためか、ネットでは両毛新聞の所在地を「群馬県足利市」と記載している。そのような背景には、わが国明治期の主要な生産と輸出は「絹(シルク)」で、その産業を担ってきた地域が両毛地域という歴史がある。その歴史の中からは、足利銀行のように、栃木県の指定金融機関になる銀行も輩出している。

さて、話が飛ぶようだが、北海道のオホーツク管内に移すと、我が故郷の地域紙「遠軽新聞」(1976年創刊、発行部数2500部、購読料月額1700円)は、2015年6月30日付で廃刊した。その時、吾輩は栃木県の有志一行と沖縄県を訪れていたので、地元の新聞「沖縄タイムス」と「琉球新報」を購入したところ、どちらかの新聞に「遠軽新聞が廃刊」という記事を目にして驚いた記憶がある。しかし、「遠軽新聞」は電子版というのか、記事を無料で読める状況ではなかったので、吾輩的には何の影響も受けなかった。

しかしながら、3年ほど前まで、毎晩観ていた紋別市の「北海民友新聞」(1950年創刊、発行部数4800部、月額2300円)のネット有料化には参った。だから、今ではオホーツク管内の地域紙として、北見市の日刊フリーペーパー「経済の伝書鳩」(日本ABC協会加盟、1983年6月創刊、約8万5千世帯に配布)だけが、吾輩の情報源になった。

最後は、オホーツク北部の遠紋地区の地域紙について記したい。やはり、地域紙が無くなることは寂しことで、それを考えると人口減少で今後ますます発行部数が減少する「北海民友新聞」が、遠紋地域の新聞として発行できないものか、とも考える。不可能であるならば、21世紀枠遠軽高校が甲子園に出場した際、後輩を激励する記事を書いていた毎日新聞記者がいることをネットで見たので、遠軽町に戻って新たに「遠軽新聞」を発行してくれないか、と期待してしまう。というのは、全国の地域紙は、大手や地元の新聞記者が創刊する例が多いからだ。でも、時代背景が違うので、無理な話か…。

ところで、本書では、ビル・ゲイツと並ぶ世界の大富豪であるウォーレン・バフェットと、地域紙との関係を明らかにする部分があるので紹介する。

ー「ニューヨーク・タイムズ」によると、彼は2012年度までに地域紙63紙を買収した。株主への年次報告書では「6紙の収入が前年と変わらず、バッファロー・ニューズ(ニューヨーク州)とオマハ・ワールドヘラルドの減収は前年比3%以下、落ち込みの度合いは大手新聞に比べて少なく、満足のいく結果だ」としている。

ビジネスに嗅覚の鋭い老練の投資家が、いまなぜ地域紙に関心を持つのか。アメリカでは日本よりも激しく新聞の衰退が起こっているというのに。一つはノスタルジー説。バフェットは少年時代、新聞配達で小遣いを稼ぎ、これを元手として会社を起こした。彼は中毒といわれるほどの新聞好きでもある。この年代の人の多くにとって、新聞は教科書であったし、世間への手引きであった。もう一つの説は、自分を育ててくれたものに対する愛着説。そしてもっとも強いのは、地域紙の可能性を高く評価しているという説。ー

吾輩と同じように“新聞大好き人間"のようだ。嬉しい限りである(笑)。