遠軽町の企業「北見木材」とピアノ製造

ネットで「北海道新聞」(3月6日付け)を見たら、遠軽町の企業「北見木材㈱」とヤマハとの関連記事が“見出し"だけ掲載されていた。そこで、その記事に関心を持ったことは後で述べるとして、遠軽高校の後輩に連絡して、この記事をファックスで送ってもらった。まずは、見出し「ピアノの響板ー木目見極め緻密に調整(北見木材・オホーツク管内遠軽町)」 の記事を紹介する。

ーメードイン北海道ー

工場に入ると、すがすがしい木の香りに包まれる。接ぎ目がわからないほど滑らかに接着された大きな四角い板から、グランドピアノの曲線が鮮やかに切り出されていく。大手メーカーのヤマハ(浜松市)が国内で生産するすべてのピアノの響板をつくっているのが、オホーツク管内遠軽町にある北見木材だ。

ピアノは、鍵盤に連動したハンマーが弦をたたいて音が鳴る。響板は、その振動を増幅させて豊かな音色を生み出す重要な部品だ。

工場ではまず丸太を厚さ3㌢、幅10㌢、長さ数㍍ほどの細長い板に加工する。3カ月から半年かけて天日干しした後、窯に入れて1、2週間ほど人工乾燥させ、水分量を落とす。

ここからが職人の腕の見せ所。木目や反り具合を見て響板に適した板を選び出し、組み合わせていく。年輪幅は狂いが少ないとされる3㍉以下、反りは1㍉以下と決めている。経験豊富な職人の目が、安定した品質を支える。

選んだ20枚ほどの板を接着剤でつなぎ合わせて大きな板にし、ピアノの形に切る。ごく小さな傷は深さ4㍉分ほど削って新しい木片を埋め、研磨機で均質に整える。状態を安定させるための乾燥を経てようやく出荷だ。年間約2万台分を、静岡県掛川市の完成工場に送っている。

北見木材は創業70年。地元産の原木をヤマハ(当時は日本楽器)に供給するために設立され、後に輸送経費を抑えるため加工も担うようになった。一般の建材なども手掛けていたが、2012年にヤマハの完全子会社となり、今は響板を中心とするピアノ部品が年商15億円の96%を占める。

「ここが止まるとヤマハのピアノはできません」とヤマハ本社から出向している西原英基社長(52)は語る。ヤマハグループの中国工場などに技術指導することもあるそうだ。

響板をつくる原木は、音の響きの良さからオホーツク産のアカエゾマツが最上とされ、かつては北見木材も使っていた。しかし高度経済成長期にピアノ生産が増えた結果、原木が枯渇。今はアラスカや欧州からの輸入材に頼っている。

再び地元の木でピアノをつくりたいー。こんな願いから北見木材とオホーツク総合振興局遠軽町は16年に3者協定を結んだ。管内の道有林や町有林の一部を「ピアノの森」と定め、枝払いや間伐などで協力している。昨年はヤマハ本社の中田卓也社長(61)も枝払いに駆けつけた。

今育てている木が響板に使えるようになるのは約100年後。西原社長は「植えて育てた木を使い、また植える。そんなサイクルを実現し、地域と共に持続可能な産業にしたいのです」と話している。

ー製品の晴れ姿 誇らしくー

生産部響板生産グループ・佐々木しのぶさん(44)

検品と埋木作業を担当しています。埋木は、板の表面のわずかな傷を深さ4㍉分ぐらい削り、色や木目が合う木片を埋め込んで磨き上げる作業です。品質を一定に保てるよう、丁寧に仕上げるように心がけています。1日50枚ぐらい、大きな板を持ち上げたり動かしたりする重労働です。でもテレビでヤマハのピアノが映ると「こんな小さな町から日本中や海外にピアノを送り出しているんだな」と誇らしい気持ちになります。近年は地元の森づくりにも関わるようになり、この仕事の大切さをより一層感じるようになりました。

もう40年前になるが、当時の遠軽町長が上京した際、吾輩が「遠軽町の自慢できる産品は何ですか」と尋ねたところ、町長は「つまようじ!つまようじを馬鹿にしてはならず、最近は高級なつまようじも生産し始めた。まあ、日本のつまようじは、ほとんどが遠軽産と言ってよい」と述べた。だから、それ以後は友人たちに「つまようじのほとんどは、遠軽で生産されている」と述べてきた。

そして5〜6年前、遠軽町丸瀬布の「道の駅」に立ち寄った際、建物の中にヤマハのグランドピアノと、その部材が並べられ、北見木材が生産していることを紹介していた。北見木材の木工場は、丸瀬布の「道の駅」に隣接する場所にあり、丸太や製材がよく見えた。それ以来、北見木材とヤマハとの関係に注目していたが、まさか北見木材がヤマハの子会社とは知らなかった。

参考までに北見木材の生産規模を調べると、響板の国内シェアは70%以上で、世界シェアも16%以上を占めていた。また、従業員数は120名という。

このほか、北見木材というと、北見北斗高校ラグビー部の生みの親・工藤茂男氏(明治大学ラグビー部出身)が、社長を務めていた会社である。その意味では、馴染みのある会社であるし、その楽器が多くの人たちに支持され、さらに音楽の街・遠軽町に所在することは、非常に嬉しいことである。

最後に、植林したアカエゾマツが順調に成長して、百年後に立派な響板になることを願いたい。