黒川弘務・東京高検検事長の定年延長には驚いた

1月31日の朝日と読売両紙の夕刊報道には驚いた。というのは、この日の閣議で、誕生日の2月8日に定年退官する予定だった黒川弘務・東京高検検事長(62)の勤務期限を、8月7日まで半年間延長すると決定した、というから驚いたのだ。つまり、吾輩のように法務・検察の人事に関心を持っている者には、黒川(以下、人名は敬称略で失礼します)は予定通り2月8日に達した時点で定年退官して、後任は法務・検察が推していた本命の林真琴・名古屋高検検事長が就任すると考えていたからだ。だから、この人事には、ただただ驚いた。

法務省は今回の人事について、退職によって公務の運営に著しい支障が生じる場合、1年を超えない範囲で勤務を継続させることを認める国家公務員法の規定に基づき決定されたと説明した。これに対して、元検事の弁護士・郷原信郎は、国家公務員法第81条の3で「1年を超えない範囲内で期限を定め…」とされているが、「検察官の場合、定年退官は、国家公務員法の規定ではなく、検察庁法の規定によるものであり、…今回、検察官の定年退官後の『勤務延長』を閣議決定したのは検察庁法に違反する疑いがある」としている。さらに、「検察庁法は、検察官の職務の特殊性も考慮して、検事総長以外の検察官が63歳を超えて勤務することを禁じる趣旨と解するべきであり、検察官の定年退官は、国家公務員法の規定ではなく、検察庁法の規定によって行われると解釈すべきだろう」と指摘している。

確かに、国家公務員の定年は3月31日で、検察官の定年は63歳と定められていることから、そこには何らかの理由があるハズだ。明らかなことは、検察官には多少の優遇策であるが、実際には難関な司法試験を通ることで、任官の平均年齢は27歳前後である。さらに、定年は63歳というものの、実際に定年まで職務を続けられるのは、検事長に就任する8人だけである。それを考えると、よくも都合よく国家公務員法の規定を適用したものだと思う。

吾輩は、昨年9月1日に「検事総長は来年2月に交代するか」という文章を作成した。その後、元職場の後輩から「最近、昔の友人たちと飲食したが、この際に稲田検事総長のことが話題になった。結論から言うと、来年2月で稲田さんは辞めません。何故なら、稲田さんは、来年4月開催の京都コングレス(第14回国連犯罪防止刑事司法会議)の日本政府代表団長を花道にしたいらしく、コングレスが終わるまでは続けるとの意向を示しているからです。そのため、黒川さんは、1月に辞めるとの意向を示している」とのメールが送付されてきた。だから、誰もが今回の閣議決定を“青天の霹靂"と捉えているのだ。

いずれにしても、この決定で、黒川が検事総長に就任することは決定的になった。なぜなら、これで林の誕生日が7月30日であるので、林の方が先に定年を迎えることになったからだ。

それにしても、なぜ故に首相官邸は、黒川を無理やり検事総長に就任させようとするのか。その裏には、どのような背景が隠されているのか。

まずは、黒川の正常ではない人事記録から紹介する。

○2010年8月10日付けで、法務省大臣官房審議官から松山地検検事正。

○同年10月25日付けで、松山地検検事正から法務省官房付け(たった2カ月で異動)。

○11年8月26日付けで、法務省官房付けから官房長。

○16年9月5日付けで、法務省官房長から事務次官(一般的には官房長〜刑事局長〜事務次官)。

○19年1月18日付けで、法務省事務次官から東京高検検事長

ということで、情報誌「選択」(18年12月号)には、次のような文章が掲載されている。

ー黒川氏の名前を有名にしたのは、2011年に就任して以降、5年にもわたる官房長時代に繰り広げた「暗躍」だ。菅義偉官房長官との太いパイプを生かし共謀罪法案を成立させる一方、事件捜査では経済産業大臣だった小渕優子氏の政治資金問題で元秘書らの立件にとどめ、甘利明経済再生担当大臣(当時)の口利き賄賂事件でも立件を見送りにするなど「もみ消し判断の裏にはいつも黒川氏の名前がささやかれていた」(永田町関係者)。ー

というもので、メディアなども、黒川のことを「政権の忠犬」と揶揄しているが、重要な視点は、黒川の首相官邸に対する貢献、そして本人の生き方が、我が国の“社会正義"に結びついているのか、ということだ。つまり、検察官が本来持ち合わせている、社会に対する“正義感"を貫いているのか、ということだ。その意味では、言い古された「検察首脳人事は、政治的中立の不文律から、政権の影響を排した独自の序列で人選される慣行」という“建て前"は重要である。

最後は、吾輩の見解だ。今回の閣議決定を批判する理由は、検察官のプライドや誇りを奪ったからだ。検察官の発言を聴いていると、財務官僚も同じと思うが、そのプライドは尋常ではない。だから、その精神構造にはヘキヘキするが、日本の巨悪を摘発してもらう以上、検察官には最低限のプライドや誇りを持たせるべきであると、固く信じている。はっきり言って、世間が考えているほど、検察官の人格や教養が優れているわけではないが、同じように政治家の質も落ちている以上、検察官に期待する面は大きい。そういう意味で、権力をチェックする機関として、己の人事権がなくて、どうしてプライドと誇りを持てるのか、といいたいのだ。民主主義には“建て前"も重要であるのだ。