オウム真理教事件に影響された警察庁人事

1月17日付けで、警視庁の第97代総監に斉藤実氏が就任した。実は、少なくとも5年前には「東京五輪パラリンピック」時の警視総監は“斉藤実で決定"という情報を、どこかの月刊誌で知った。だから、それ以来、斉藤実とはどのような人物であるのか、ということで関心を持ち、警察庁人事をチェックしてきた。

というのは、警察官僚の出世レースではトップは警察庁長官、ナンバー2は警視総監であるから、本庁の局長就任前から“警視総監決定"というのは珍しいからだ。どの省庁でも、入庁当時からトップ候補はいるが、ナンバー2候補はあまり聞かない。それも、治安機関のナンバー2であるので、やたら関心を持ったのだ。

いずれにしても、やっと新聞やテレビで、斉藤氏のお顔を拝見することができた。そのような中で、1月18日付け「産経新聞」のプロフィールを読んで、「そうであったのか」と妙に納得する部分があった。その部分とは、

ー自らの土台を作る上で「貴重な財産」と位置づけるのは、平成5年9月から2年間務めた警視庁第7機動隊長の経験だ。隊員と寝食を共にし、部隊指揮を身をもって学んだ。

同庁OBの間で語り草になっているのは、7年5月、静岡県富士宮市にあったオウム真理教の総本部への家宅捜索。毒ガス検知のための小鳥を用意するなど緊迫した状況の中、隊長として先頭に立った。「指揮官が前に立つのは自然な所作」と笑顔で話すが、その姿は庁内の信頼を集めた。ー

つまりは、斉藤氏はオウム真理教事件に対する対応から、有力な警視総監候補になったのだ。その一方で、オウム真理教事件に対する対応で、警察庁長官・警視総監を棒に振った元警察庁刑事局長(昭和40年入庁)がいた。

その対応とは、知る人ぞ知る有名な話しで、オウム真理教からのテロを恐れるあまりトイレに行くのにも護衛をつけたり、防弾チョッキを終始着用したり、さらに上司の長官に対して「この戦い、オウム真理教に負けました」旨述べるなどの奇行を連発。その後、警察大学校長に左遷されて、役人生活を終えた。

言うなれば、この元刑事局長は、オウム真理教の事件に関わらなければ、警察トップに就任していた。逆に言うと、オウム真理教事件という出来事で、警察トップという重責を担う人物ではないことが判明した。

そのような事実を知ると、いまだにオウム真理教事件の余波が治安機関の人事に影響を及ぼしている。そして、警察庁に置いては、東大法学部卒、さらに上級職試験や司法試験を優秀な成績で通過しただけで、警察幹部にしてはならないことを思い知ったと考えている。