三度にわたる木村汎先生の追悼文

木村汎先生の追悼文を、三度も紹介することには多少躊躇したが、やはり記すことにした。今回の追悼文は、本日付けの「読売新聞」で、寄稿者は新潟県立大教授・袴田茂樹である。

ー追悼・木村汎さんー

〈綿密分析 対露政策に警鐘〉

木村汎氏の突然の訃報を、その日に奥様から直接知らされた。私の痛切な気持ちは、対露政策が混迷しているわが国で長年警鐘を鳴らし続けた最有力の研究仲間を失った喪失感だ。まず、木村氏の人柄について。

彼は権威に媚びず誰に対しても自己の見解を率直にぶつける。ロシアの元首相・外相のプリマコフ氏との面談においても、木村氏が、「あなたは交渉というものの本質が分かっていない」と述べたのには、同席者として驚かされた。「交渉学」の専門家としての自負が言わしめたものだ。彼はまた茶目っ気、ユーモアのある人でもあった。ただ、彼の諧謔は鋭い皮肉を含むこともあり、褒められてもつい身構える人もいた。

彼が亡くなるまで最も憂えていたのは、領土交渉の事実上「2島交渉」への後退だ。ちょうど1年前の安倍・プーチン会談での、「日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速」との合意は、過去の政府や民間の血の滲むような対露交渉・対話の全否定だとして、首相にとって完全にマイナスのレガシー(遺産)になると嘆いた。

木村氏の業績についてだが、彼はロシア政治と北方領土問題に関するわが国の研究者の長老格だ。彼には二つの顔がある。一つは政治思想家、もう一つはアカデミックな学者の顔である。過去5年間に彼は80歳前後という高齢にもかかわらず、爆発的とも言える勢いで大著を5冊上梓した。いわゆる『プーチン』三部作(人間的考察、内政的考察、外交的考察)、『対ロ交渉学』および『プーチンとロシア人』だ。この多くは、六百数十頁から約七百頁で、欧米、ロシア、日本の膨大な論文、著書、諸資料を渉猟して綿密に分析し、自己の独自の見解を打ち出している。

プーチン』三部作においても政治思想家としての木村氏は、大統領としてのプーチンが如何に信頼できないかということを徹底的に解明した。換言すれば、日本的な甘い「信頼関係」に頼る対露政策の危険性を鋭く指摘している。そして学者としての木村氏は、プーチン氏の対日政策がなぜ厳しいのか、大統領の価値観、発想法、心理構造などを冷徹に抉り出している。

木村氏の恩師・猪木正道氏と親しかった市村真一京大名誉教授(94)は、「国宝的」人物を失ったと嘆いた。

吾輩が、三度も木村先生の追悼文を紹介したのは、木村・袴田両先生と同じように、安倍首相の対露外交に怒りを感じているからだ。その安倍首相は本日、憲政史上最長の桂太郎を抜いて、在職日数が通算で2887日になった。この事実を知ると、首相の評価は通算在職日数だけでは計れないことが解る。

いずれにしても、我が国の首相である以上、それなりの“歴史観"を持った政治家が就任してほしい。それを考えると、いずれ木村先生の“分析"や“先見性"が正しかったことが、多くの国民が知ることになるであろう。いつまで続く、在職日数だけが長い安倍首相…。