新刊「日本共産党の正体」を読了して

最近、評判になっている新刊「日本共産党の正体」(著者=福冨健一、新潮新書)を読了した。さすがに、著者は民社党本部の中枢に在籍していただけあって、共産主義の諸問題に大変詳しい。というのも、当時の民社党の党員は、民間労組上がりか、学生時代から反共の立場で共産主義を徹底的に勉強した人で構成されていたので、著者のような人物がいても何ら不思議ではないのだ。

ということで、今回は初めて「日本共産党」(議員数は衆参で26名、都道府県議会で149名、市区町村議会で2605名)の危険性を提起することにした。なぜなら、未だに何の疑問も感じずに「日本共産党」に投票する有権者がいるので、改めて共産主義政党の恐ろしさを伝えたいからだ。

まず最初は、1930年に共産主義思想の誤りを体系的に解説した著書「マルクシズムを中心としてー其の説明と批判」(思想研究会)を執筆した山本勝市(1896〜1986、元自民党議員)の主張から紹介する。

山本は、先ず史的唯物論を説明したうえで、その誤りを述べます。

マルクス史的唯物論は、弁証法に従って、原始共産体、ギリシャ時代の奴隷制、その後、封建制度、現在の資本主義社会へと発展し、この発展の原動力は物質的生産力であると論じ、現在の資本主義社会は資本主義の反対物たる共産主義社会に必然的に至るという論です。

この史的唯物論は誤りであると、以下のように解説しています。

第一に、資本主義の次に共産社会が到来すると断定するのは独断であり、弁証法に従えば資本主義の反は非資本主義ですが、共産主義のみを非資本主義と断定する根拠がない。

第二に、マルクスは、人類の歴史は経済が真の土台で、法律、政治、宗教、道徳、文学などは上層建築に過ぎないと述べています。しかし、どちらが土台でどちらが上層建築と主従関係を付けることはできないし、「物質的生産力を神のごとき地位」にするのは科学ではなく独断である、と山本は述べます。

第三に、共産主義は、私有権と個人主義を排除していますが、これも科学的理論とは言えないと述べます。仮に歴史が、奴隷制封建制、資本制と発展し、共産主義社会が訪れるとした時、奴隷制封建制、資本制のもとでは私有権や生活責任の個人主義原理は共通の原理として存在しています。共産主義社会では生活上の責任が個人から社会に移り、私有財産制もなくなると主張していますが、なぜ劇的に消滅するのか科学的証明が必要なのにマルクスは証明していない、というのです。

第四に、奴隷制封建制、資本制、共産制と発展するなら、共産制の次にも新たな社会が到来すると考えるのが普通です。しかし、マルクスは、共産主義社会の次に来る社会を示していません。

この四点から史的唯物論は間違いである、と山本の論理は実に明快です。

吾輩も若い頃、人間の社会は原始共同体、奴隷制封建制、資本主義、そして社会主義共産主義という風に発展すると、利口ぶった若者やビラ配りの労組員から聞いたことがある。おそらく、昭和30年以前に生まれた人であれば、ほとんどが聞いた話しだ。それくらい、カルト思想にはまりやすい人物は、この共産主義思想の巧言や美辞麗句を鵜呑みにしていた。しかしながら、日本共産党は1922年7月15日に創立されたので、その8年後には共産主義思想の誤りや危うさを指摘する書物が出版されていた。

続いて、なぜ20世紀の歴史において、誤った共産主義が大きな地位を占めてしまったのか。これに関しては、国際政治学者のズビグネフ・ブレジンスキー(1928〜2017、カーター米大統領補佐官)の著書「大いなる失敗ー20世紀における共産主義の誕生と終焉」(伊藤憲一訳、飛鳥新社、1989)から紹介しよう。

「教義の『極度の単純化』が時代に合っていたからだといえよう。あらゆる悪の根源が私有財産制度にあるとした共産主義は、財産を共有することで真に公正な社会が、したがって人間性の完成が、達成できると仮定した。この考え方は何百万人もの心をとらえ、かれらに期待を抱かせた」

「特に恵まれない人々に魅力的だったのは、『人民の敵』、すなわちこれまで物質的に豊かだった階級に対する暴力を正当化したことであった」

共産主義は、……わかりやすい思想体系であり、過去および未来への独特な洞察を備えているように見えた。これが、新しい知識人グループの、もっと世界を理解したいという欲望に応えた」

共産主義は、単純な人々も教養ある人々も、同じように引きつけた」

と解説しています。その結果、ソ連では、

スターリン時代の犠牲者の数は、詳細にはわからないだろうが、二〇〇〇万人をくだらず、おそらくは四〇〇〇万人に近いと見積もっていいだろう」

と、悲惨な実態を述べています。共産党が歴史を抹殺するのは、このような共産主義に内在する暴力性と歴史の悲惨さが底流にあるのです。

さすが、ブレジンスキーの分析力には説得力がある。また、現在の中国や北朝鮮の政権維持に繋がることであるが、「共産党政権の権威は残虐な弾圧政策で保たれている」と記して、共産主義の危険性を指摘している。

以上のような危険性を踏まえて、欧米諸国では「共産主義とは全体主義である」と見なして、主要先進国共産党が国会で議席を持っている国はフランスと日本のみという。つまり、共産党を非合法化している国々が多いというのだ。

日本でも昭和24年7月4日、米国独立記念日マッカーサー元帥の声明で、共産党の非合法化に関する総司令部側からの最初の示唆があり、翌年の5月3日の新憲法発効三周年記念日に、改めて共産党は「法の保護に値するか」疑問であるとの声明を出した。

ところが昭和26年3月20日、国会で法務総裁の大橋武夫の「共産党非合化は政府として研究中であり、直ちに実現したいという考えを持つに至っていません」という答弁で、非合法化法案は消え去った。しかし後年、元首相の吉田茂は「後になって考えるに、やはり実行して置けばよかったような気もする」と後悔している。

要するに、欧米ではマルクス・レーニン主義を掲げていることは、自由と民主主義を破壊しようという意図があるとして、憲法違反の政党であると判断を下している。そして、欧米諸国では、日本と違い国家として厳しい対応を行っているが、これを一般に「闘う民主主義」と呼んでいる。つまり、自由や民主主義を否定するような自由や権利は認めないという立場である。この事実を知ると、果たして日本は自由と民主主義を守る覚悟があるのか、と考えてしまうのだ。