オホーツク管内の高校美術とスポーツ大会の現状

以前、オホーツク管内の小中学生の学力低迷を嘆く文章を数回書いたが、今回はオホーツク管内の高校美術とスポーツ大会の現状を紹介したい。

吾輩は、3冊目の上梓を目的に、5月末に自家用車で北海道を旅行した。その際、遠軽高校を訪問(23日)して、江戸時代中期の画家・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、1716〜1800)の画集(2冊)や、東京の「すみだ北斎美術館」で購入した画集などを贈呈した。特に若冲の画集「生誕300年記念若冲」は、2016年5月に東京・上野の東京都美術館で開かれた「若冲展」で購入したが、あの時は、あきれるほどの長蛇の列を見て、画集だけを購入して帰宅した。だが、画集があまりにも素晴らしいので、その時に3冊購入した。つまり、この時に購入した画集を持参して、遠軽高校を訪ねたのだ。

高校事務局を訪ねたところ、対応した職員が「私は美術がわかりませんので、美術の教員を呼んで来ます」と述べて席を離れた。すぐに若い女性が現れ、最初に「オホーツク管内で、私しか美術教員がいないのです」と言った。吾輩は、その言葉に驚いて「それでは北見や網走の高校は、どうしているのか」と尋ねると、自信なそうに「もう一人いるのかも…」と答えるのだ。

いずれにしても、遠軽高校に美術を理解できる教員が在籍していたので、教員から「こんな素晴らしい画集を頂いて良いのですか」という言動を得ることができた。もしも、美術教員が在籍していなかったならば、吾輩はがっかりして引き上げてきた可能性がある。

帰宅後、この現状を友人や知人に話したところ、皆「おそらく、美術は大学受験に関係ないので、どの高校もおろそかになっているのだ。問題だと思う」という感想を述べた。つまり、昔から高校や中学校の教員は、田舎の“知識の源"である以上、その中に“穴"を開けてはならないのだ。

続いては、オホーツク管内で開かれていた陸上競技大会に関してだ。遠軽町では、秘境温泉「瀬戸瀬温泉」に宿泊し、翌日は早朝に北見北斗高校ラグビー部の“記念碑"を写真撮影、続いて北見市の「ピアソン記念館」(開館時間9時半)を訪ねる予定であったが、開館時間まで多少時間があったので、北見市東陵公園陸上競技場に赴いた。当然のごとく、陸上競技大好きの吾輩は、その日にオホーツク管内の高校陸上競技大会が開催されていることは知っていた。

まず会場に入り、最初に役員室で「第72回高体連北見支部陸上競技選手権大会兼北海道高等学校陸上競技選手権大会北見支部予選会」と書かれたプログラムを購入(五百円)した。そして、遠軽高校陸上部の部員が設置したテントに赴き、顧問先生や生徒たちに「50年振りに、この陸上競技場に来た」と挨拶し、顧問の了解を得て、飲料代を主将に手交した。その後、20分くらい生徒たちと対話したが、その内容は、

○1964年(昭和39年)の東京五輪の際には、3000㍍障害物で大村良治(専大〜リッカー)という先輩が、五輪候補に選ばれたが出場はならなかった。

○1984年(昭和59年)の全国高校駅伝大会に出場した際には、初めて激励を兼ねて、寄付金を高校に送付した。これに対して、校長先生から墨で書かれた手紙を受け取ったが、その手紙は今でも大切に保存している。

○1967年からの「陸上競技記録集」や、雑誌及び新聞の切り抜きを大量に持参している。いずれ、遠軽高校陸上部に譲りたいと考えている。

などと話した。このほか、吾輩は「北見支部大会から全道大会に勝ち上がれない選手は、全道大会期間中はいつも通り授業を受けるのか」と尋ねたところ、生徒が「ほとんどの選手が勝ち上がるので、皆で全道大会に行くことになる」と回答した。

この回答には驚いたが、要は以前に記したように、全国インターハイ陸上競技に出場する選手数と同じで、全道大会に出場する選手数にも言えることなのだ。つまり、支部大会に出場する選手数が、吾輩の時代から半数以下にまで減少しているにも関わらず、全道大会には、札幌、函館、室蘭、小樽、空知、旭川、名寄、十勝、北見、根釧の10地区の6位までの選手が勝ち上がって来る。例えば、北見支部大会の出場選手は、男子は19校・238名、女子は16校・118名であるが、男女41種目もあるので、ほとんどの選手が全道大会に出場できるのだ。

道理で、会場内を見渡すと、明らかに吾輩の時代よりもテント数が大幅に減少し、選手数も大幅に減少していることが解る。つまり、これだけ少子化の影響で選手数が大幅に減少しているにも関わらず、依然として各支部大会の上位6位までを全道大会出場させている。そのため、トップ選手との実力差がますます開く中で、一種目60名が出場することになっている。その現状を考えると、札幌支部はこれまで通り6位で良いが、それ以外の支部は3位までとするなど、臨機応変に対応するべきと考えるのだ。