アイヌは民族として存在しているのか否や

最近、元新聞記者の友人から「ネットで、左翼でない人たちが、アイヌ同化政策によって民族として存在しているのか否かで、論争をしている。どのように考えるか」との問いがあった。ネットで調べたところ、確かに精神科医香山リカと漫画家・小林よしのりが激しく論争をしていたので、2人が対談した冊子「対決対談!『アイヌ論争』とヘイトスピーチ」(2015年6月5日初版発行、80ページ、五百円)を購入した。

そこで、まずは2人の対立点を紹介したい。

小林ーアイヌの絶対数が少ないんだから、アイヌという民族が純血で保てるわけがない。和人との混血を重ねていけば、もう何百分の1しかアイヌの血は残らない。それでもアイヌ民族だと言い張る。これは一体何なんだろうと思ったわけですよ。アイヌ民族っていうのは何なんだろうと。「ない」と結論せざるをえない。

香山ー民族の学術的な考え方は、そういうふうに血が何割入っているというような考え方をすると複雑になるし危険なので、客観的な判定と、本人の帰属意識という主観的な判定と、双方を見るということです。〜アイヌ協会の定款によると、本人の入会申込書をもとに理事会での決議で決まります。戸籍を含めての審査と聞いています。

小林ーアイヌ系の天才的な言語学者知里真志保は、1930年代にすでに「アイヌはいない」と言ってるよね。〜クオーターからさらに何分の1、何分の1ってなっていったときに、民族って成立する?〜もう同化していてアイヌの血が100分の1になっていても、まだアイヌ民族だというアイデンティティを維持したいと思う人間の心理って何なんだろう。そこが問題だよ。

香山ー小林さんは「日本に同化している」とおっしゃいますが、それは同化政策によるものです。そこもひとつ問題だと思います。〜江戸時代頃からいわゆる和人の入植が始まり、商場知行制や場所請負制といった収奪の構造をつくり植民地化していきました。〜しかし、世界的に1970年代、80年代頃から、支配した側の人たちからも、それに対する見直しや反省が生まれてきたわけですよね。

小林ーアイヌ民族ありさえすれば、ずっと国庫から補助金がもらえるのでは…。

香山ーやっぱり特権というのを信じてるっていうことですよね。進学の援助と住宅の貸し付けというのはあります。あとは文化政策に対する、たとえばお祭りとかに対するわずかな日当ですね、3000円とか5000円とかが出ることはあります。

小林ー北海道の調査で、「自分が『アイヌである』と感じた時期」という質問では小学生の頃という回答が一番多かった。小学校のときに自分がアイヌだと自覚したという人、これは何で自覚したの?

香山ー親から聞いたというのが47・7%、親以外の家族・親戚から聞いたというのが16・8%、友達から指摘された8・6%、近所の人から聞いた6・1%と、いろいろですね。

小林ーその人は親が両方ともアイヌなんだろうか?

香山ー両親ともアイヌというのが50歳以上では20%を上回っていますが、30歳未満では11・9%など、いろいろです。〜アイヌは道内で把握できている人だけでも2万人近く、首都圏でわかっているだけで5000人、実際にはもっといると言われていたりしますが。

小林ー在日も一緒だよね。在日はかつて60万人くらいだったのが今30万人くらいになって、ものすごい勢いで帰化しているけれど、日本人と混血していけば、いずれ韓国人という主張もできなくなる。

香山ー特別扱いしろと言ってるわけでも何でもないんだから、民族と認めてあげてもいいんじゃないですか?

小林ーなんで民族という言葉にそこまでこだわっているの?「アイヌ系」でいいじゃないとわしが言ってるのに、それでも「アイヌ民族」じゃないといけないという理由は何なの?

当初、この冊子を読むまでは香山氏の意見に傾いていたが、小林氏の見方にも一理あると思った。だが、昨年に松浦武四郎の著書「アイヌ人物誌」を読んだ者としては、ただ単にアイヌの血が薄くなったからと言って、アイヌ民族は存在しなくなったという意見には賛成できない。なぜなら、武四郎の著書に記されているように、幕末の蝦夷地においては、番人などがアイヌの妻を強奪したり、年頃の娘を妾としたりと、まさに非道行為が多数まかり通っていた。つまり、アイヌ民族が自主的に和人と結婚して、血が薄くなったとは言えない歴史があるからだ。

このほか、アイヌ民族が日本からいなくなったとして、これが日本の国益に繋がるのか?絶対に国益にならない。つまり、我が輩は日本政府と同じ考えと思うが、樺太や千島列島をロシアから奪回するためには、アイヌ民族が日本に存在していることは重要なことであると考えているのだ。

現在、同化政策で思い出すのは、新彊ウイグル自治区に対する中国政府の政策だ。まさに、米国やトルコが批判して世界的に注目されている、ウイグル族に対する強引な同化政策だ。その中には、ウイグル族の娘と中国の男性との結婚を推し進めていることも含まれている。つまり、同化政策ウイグル族の血を薄めて、新彊ウイグル自治区からウイグル族の存在を消し去ることを目指している。だから、アイヌ民族の血が薄くなったからと言って、直ちに「アイヌ民族はいなくなった」という見方には賛成できないし、ましてや和人が大きな声で「アイヌ民族はいなくなった」というべきではないと考える。

ところで、この冊子を読んで驚くことがあった。実は今から10年ほど前、ある要件で旭川市を訪れた際、ある公共施設で開催していた「アイヌ展」に入った。入場したところ、一人の老人が話し掛けてきたので、我が輩は「自分は千葉県に住んでいるが、高校卒まで北海道に住んでいたので、アイヌには多少関心がある」と述べたところ、この老人が耳元で「もう北海道には、純粋なアイヌはいません。アイヌと主張しているのは、何らかの援助を求めている者たちです」と述べたのだ。そして、会場内を案内して最後に「この本は私が書いたものです」と言って、展示してある十何冊かの本の中の一冊を指し示したので、参考まで紹介された本を購入した。

この著書「アイヌ史/概説」(著者=河野本道(1939年生)、発行=1996年1月20日、定価=1214円)は、それなりに立派なもので、購入した際には白紙の中のページに次のように著者から書いてもらった。

ー2008年11月4日

著者 河野本道

出会いの記念に。ー

ということで、あれ以来、どうしてあれほどのアイヌ専門家が、我が輩の耳元であのようなことを述べたのか、と長い間疑問に思ってきた。それが、あの冊子を読んで、河野氏が小林氏と同じ立場の学者であることを知った。また、河野氏は既に2015年に亡くなり、三代続く学者家系の人物であることも知った。

どうですか、アイヌ問題に対する理解が深まりましたか。また機会があれば、我が輩のアイヌとの関わりを書きたいと思います。