新刊書「西洋の自死」の薦め

昨年12月19日付け「朝日新聞」の広告欄で、日本の「移民国家」化が招く破滅への道を予言、気鋭のジャーナリストが誰も書けなかったタブーに挑む!、欧州の移民問題を徹底ルポした大問題作、世界23ヵ国で翻訳、「サンデー・タイムス」のナンバーワンブックに輝いたベストセラー、という宣伝文で新刊書「西洋の自死」の発売を知った。当時、日本の国会でも「改正出入国管理法」が審議され、外国人受け入れ問題に関心を持っていたので、さっそく書店で購入した。しかし、ページ数が512Pもあり、読了するのに1カ月もかかった。

新刊書を見ると、著者は英国人ジャーナリストのダグラス・マレー(1979年生まれ)で、発行元は東洋経済新報社、本体価格は2800円であった。読み始めると、内容が濃密であり、ポイントも絞り切れず、また、紙幅が自ずと限られている以上、一度は新刊書の紹介を諦めた。しかしながら、最後の最後のページ(486P)を読んだ時、そこまでドイツの移民政策で、一部政治家も移民も、理不尽な考え方をしていることを知り、新刊書の紹介を決断した。それでは、我が輩が理不尽と感じた部分から紹介する。

欧州で唯一、そうした閉塞の外へとこの大陸を導ける国はドイツだろう。しかし近年の歴史を経験する以前から、欧州人にはドイツのリーダーシップを恐れる理由がたっぷりある。今日の若いドイツ人などは、その点を親世代以上に恐れがちだ。そのため全般的に「漂流」し、「リーダーを欠いている」という感覚がずっと続いていく。

一方、政治家や官僚は事態をできる限り早く、できる限り悪化させないために、できる限りのことを続いている。2015年10月にドイツ、ヘッセン州カッセルで住民集会が開かれた。800人の移民が到着するのを前に、懸念を抱いた住民が、自らの選んだ公職者に疑問点を質そうと集まったのだ。集会を録画したビデオを見ると、市民は冷静で礼儀正しいが、不安げだった。やがてある段階で、その行政区の首長のヴァルター・リュプケという人物が、静かに市民にこう告げた。この政策に賛成しない者は誰であれ「ドイツから出ていって構わない」と。

ビデオの映像と音声に記録されているとおり、市民は息を呑み、驚いて失笑し、野次を飛ばし、最後に怒りの叫びを上げた。まったく新たな人々が自分たちの国に入ってくる一方で、自分たちは気に入らないならいつでも出ていっていいと言われるのか?欧州の政治家たちには、欧州の大衆をこんなふうに扱い続けたらどうなるかがわからないのだろうか?

明らかにわからないようだ。移民たちにもそれがわかっていない。2016年10月、ドイツの『フライターク』紙と『ハフィントン・ポスト』の同国版が、アラス・バチョと名乗る18歳のシリア移民の書いた一文を掲載した。彼はその中で、「人を侮辱し、扇動」する、「仕事にあぶれた人種差別主義者」の、「怒った」ドイツ人に対してドイツにいる移民たちは、「うんざりしている」と不満を述べた。彼はさらに呪詛を書きつらねる。「僕たち難民は、あなた方と同じ国に住みたくない。あなた方はドイツから出ていけるし、出ていくべきだと思う。ドイツはあなた方に似合わない。あなた方はなぜここに住んでいるの?新たな住みかを探したら?」

即ち、地方の首長が市民に対して、「ドイツ政府の移民政策が嫌なら国を出て行くべきだ」と言っているのだ。一方、移民側も「ドイツの移民政策が気にくわなければ出て行けは良い」と高飛車に発言している。このような双方の発言を知って、非常に驚いたのだ。

それでは、何故に欧州で移民が増加したのか?それは、西欧の民主主義国のリベラル派と繋がる「権利」体系(女性の権利や同性者の権利、宗教的な権利、少数派の権利などを含む)の人々が、急増中したこともある。彼らは、ファシストでない人々をファシスト呼ばわりし、人種差別主義者でない人々を人種差別主義者呼ばわりすることは、政治的に有効であることを理解した。だから著者は、欧州においては、ファシズムへの警告は極めて慎重に発せられるべきで、人種差別主義の用語が軽々しく使われ続けるのを防ぐ方法の一つは、虚偽の告発をすることの社会的コストを、少なくともその告発で有罪になるのと同じくらい重いものにするべきと言う。つまり、今日の欧州人は戦争、とりわけホロコーストの罪悪感だけでなく、過去に関わるあらゆる領域の罪悪感を持っていると言う。

そのような背景から、1990年には非欧州系の移民はスウェーデン人口のわずか3%だったが、2016年にはその数値が13〜14%に増大し、しかも年率1〜2%ずつ上昇している。また、ロンドンの住民の中で、自らを「白人の英国人」と回答した人々はわずか44.9%だった。また、2001年から2011年の間に、イングランドウエールズに住むイスラム教徒の数は150万人から270万人に増加したと言う。

さらに、近年の難民によるドイツ人女性や少年へのレイプ事案は2015年を通じて増加し続け、ドイツの当局者もついに看過できなくなった。この事実は、2000年代前半の英国と同様、ドイツでも、容疑者の人種的ルーツを明らかにすることから生じる結果を恐れるあまり、警察は職務を遂行する責任を果たさなかった。要は、欧州諸国では、移民の集団による地元女性への性的暴行の問題は公然の秘密になっていた。

このほか、欧州諸国が人道上の危機に対する中東全般の態度が不満になっている。例えば、クウェートバーレーンカタールアラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビアオマーンからなるペルシャ湾6ヵ国は、2016年までにただの1人もシリア難民を受け入れていない。エリトリア、ナイジェリア、バングラデシュパキスタンからの難民に対する態度も、それと同じくらい寛大さを欠いている。

実は、ドイツのメルケル首相は2010年10月に、ポツダムで行われた演説は、欧州各国の首脳が雪崩を打ったように移民や同化政策の誤りを口にする契機となった。しかし、メルケル首相は、2015年10月31日、ベルリンで新たな意向を示し、「ヴィア・シャッフエン・ダス(我々にはこれができる)」と国民を焚きつけた。つまり、彼女はポツダムで、ドイツがー戦後の労働力不足を補うために移民を受け入れた英国その他の欧州諸国と同様ー「しばらくは自分自身をだまして」いたと認めた。「私たちは『彼らは永住しない。いつかはいなくなるだろう』と考えたのです。でも現実は違いました」と述べ、さらに「(多文化主義は)失敗しました。完全な失敗です」とあの特別な言葉を二度までも繰り返したことはー国民の共感を呼んだ。であるならば、その5年後に押し寄せる移民の津波にいち早く備えられただろう。

外国人を大量に受け入れることは、その国の市民や文化が世界から消えてしまうことに繋がる。だから、著者は1950年代以降の西欧の指導者たちが、「移民政策の目的は欧州の概念を根本的に変え、世界の故郷にすることだ」と自国民に告げていたら、欧州の大衆はかなりの確率で蜂起し、それぞれの政府を転覆させていただだろう。そして、「少なくとも欧州の指導者たちは、自死することを決意した」と記している。

以上、この件は、非常に大事な問題である。だから皆さんも、是非とも新刊書を読んでみて欲しいのだ。