近現代史における“革命" を考える

昨年10月14日に、江崎道朗氏の著書「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」を取り上げたが、今回は「日本占領と『敗戦革命』の危機」(PHP新書)を紹介する。この書物を読んだ理由は、伝えられている昭和二十年代前半の「共産主義革命」が、どのくらい現実性があったのかを確認するためです。

先ず最初は、高千穂商科大学教授を務めた名越二荒之助氏の著書「内乱はこうして起る」(原書房、昭和四十四年、三四頁)から紹介する。

革命はさも自然発生的に歴史として起ったようにいう人がある。しかしそれは革命の勝利者が、自分の正当性を大衆に証明するために作り出したフィクションに過ぎない。実際は一人の卓越した才能と、それを取り巻く少数のエリートたちの巧妙なる戦略戦術によって、一挙に行われる。この際トロッキーもいっているように、一般国民は殆んど革命には反対であり、革命など起るものかと楽観さえしている。それに国民は行動や発言の機会が与えられず、「声なき声」の立場に立たされる。

ロシア革命の場合も、ボルシェビキ(ソ連共産党)が国会に議席を持った数はたかだか四、五名、蜂起した労働者の数も僅か十余万(ソ連共産党史による)に過ぎなかった。

というわけで、革命は社会状況が非常に不安定化した状況下では、それほど困難なことではないようだ。そこで、我が国の過去を振り返ると、昭和20、21、22年当時、GHQ(連合国軍総司令部)の「敗戦革命派」は、日本の警察や軍隊を破壊し、皇室や神道の解体を目論み、教育を骨抜きにし、保守系政治家や官僚、学者を公職追放する一方で、GHQが支援してきた日本共産党とそのシンパたちは表向きGHQとの連携を叫んでいた。その裏では、労働組合在日朝鮮人を取り込みながら、資本主義反対という名の反米宣伝を始め、共産主義革命の準備を進めてきた。

その時代の「左翼全体主義」グループの具体的な戦術は、次の7点に要約できる。

①組合員として労働組合に入り、責任ある地位に就く

②自らの生活水準が経営者の生活水準に比べて低いとこぼしている労働者の間に不安を蔓延させる

③暴利をむさぼっている企業を告発する

ストライキの扇動に参加し、現に存在しているかもしれないどのような不公平よりも誇張した要求を示し、経営者がその要求を拒否するように追い込む

⑤仲裁委員会の決定に従うことを拒否する

政権政党を糾弾する

⑦経済的な目的ではなく、政治目的を志向するストライキを助長する

そうした中で、全官公庁共闘は昭和22年1月11日、スト態勢確立大会を開き、ゼネスト宣言を決議した。その時には、“2・1ゼネスト"で吉田内閣を倒したあとに樹立される「人民政府の閣僚リスト」が労組やマスコミ周辺に流れ出し、まさに革命前夜かという状況であった。しかし、ゼネスト予定日の前日の1月31日、マッカーサー司令官によるゼネスト禁止命令を受けて、午後9時15分に伊井弥四郎がラジオ放送でゼネスト中止を呼びかけた。つまり、この時代、この瞬間が、最も「共産主義革命」に至るような緊迫した情勢下にあったと言える。

近現代史の中で、政治混乱が大きな政変、革命につながっていくとして、3つの事例を挙げている。

ーげんに、1917年にロシアで起きた2月革命(3月革命)の折りも、ロシアの首都ペトログラードゼネストが起こされ、それを鎮圧すべく派遣された軍隊の中から叛乱する部隊が相次ぎ、遂に皇帝退位と臨時政権の樹立にまで至った。

近年でも、2004年にウクライナで起きた「オレンジ革命」は、大統領選挙結果に抗議すべく、落選した野党候補の支持者がゼネストを決行し、それが大きな政治運動に高まって、大統領選挙のやり直しになった。2010年にチュニジアで起きた「ジャスミン革命」も、政府への抗議運動がゼネストに発展し、遂に大統領の逃亡と政権崩壊を引き起こしている。ー

ということで、現在でも将来的にも、世界のどこかでゼネストなどの社会運動によって、大きな政変である“革命"が起こる可能性があるのだ。つまり、現在の政権が人権無視、国民の怒りが伝わらない国家は、常に大きな政変が起きる可能性がある。それを考えると、依然として“共産主義政党"が政権を握っている中国、北朝鮮ベトナムキューバなどが当てはまる。

そこで、世界の大国・中国の今後を占ってみたい。つまり、投獄されたままノーベル平和賞を受賞した改革派知識人・劉暁波に対する人権無視の死亡事件、200人以上の弁護士や活動家への取り調べ、キリスト教の地下教会信者二千万人に対する締め付け、そしてチベットウイグル・モンゴル各民族に対する弾圧、等々の対応をとる「共産党独裁政権」が、果たして今後20年、50年、そして100年後も存在しているのか、という疑問である。共産党指導部は、当然のごとく内外の批判を受けて、多少の政治改革を実施するが、いずれも小手先の改革で終わる。これでは、いずれ大きな政治変革の動きが訪れることは間違いないと思うのだ。

だが、大きな政治変革のためには、ある程度の政治団体の存在が必要である。だからこそ、共産党指導部は、党がコントロール出来ない団体が設立されることに神経質になっている。そのような背景を考えると、究極的には中国の脅威をそれほど感じなくとも良いのではないかとも考える。ただ、それまでの過程において、我が国に重大な危機がもたらされ無いように警戒しなければならないことは当然のことである。