史家・渡辺京二を知っていますか

産経新聞に、在野の「知の巨人」と紹介された、史家・渡辺京二(88)のことを知っていますか。8年前、新聞の批評を読んで、同人の著書「黒船前夜ーロシア・アイヌ・日本の三国志」(2010年2月17日初版、㈱洋泉社、3045円)を購入した。この作品はその後、大佛次郎賞を受賞したが、これまで大作家の司馬遼太郎吉村昭、さらにロシア専門家による日ロ関係の歴史本を読んでいたので、その内容の充実度には非常に驚いた記憶がある。さらに、これまで名前を聞いたことがないし、また、熊本市に居住しているというのだから、なおさら驚いたのだ。

そのような渡辺氏が、産経新聞の連載企画「話の肖像画」(8月14日〜18日付け)に、対談形式で取り上げられたので、その発言内容に注目した。そして、皆さんに渡辺氏を知って貰う意味で、同人の発言内容を紹介することにした。

○〈近世・近現代史や思想史に緻密かつ大胆な論理と視点で切り込み続ける在野の「知の巨人」。と同時に、情と義を備えた志士の面影が漂う。そんな渡辺さんに「『バテレンの世紀』(近世)から『苦海浄土』(現代)まで」をテーマに語ってもらった〉〜日本にとって西洋との「最初の出逢い」である16〜17世紀、スペインやポルトガルをはじめとする欧州諸国は19世紀以後の西欧列強とは全く異なっていました。〜「第二の出逢い」となった「黒船来航」のときのような圧倒的な国力の差はなく、むしろアジアの方が経済的にも文化的にも先進国でした。

○日本におけるキリスト教は庶民の信仰という面では非常に深いレベルにありました。そうでなければ多くの殉教者を出した島原の乱が起こるわけがありませんし、禁教下にありながら潜伏キリシタンたちが約250年もの間、信仰を保ち続けることはできません。でもその一方で、庶民を導くべき日本人聖職者たちが思いのほか育ちませんでした。〜イエズス会の宣教師によると、日本人は非常に頭がよく、初等教育についての理解は目を見張るほどなのだが、いざ聖職者に必須となるラテン語によるスコラ哲学や神学の段階に入るとついてゆけなくなったそうです。

○〈『逝きし世の面影』。訪日外国人が残した膨大な史料にあたり、幕末〜明治前期における古き良き日本人像を描出・論功したこの大著は、平成17年に平凡社ライブラリーに収められて以来、38刷・約16万部を数えるロングセラーとなっている〉「江戸時代はよかった」と『逝きし世の面影』で主張したかったわけではありません。異文化としての江戸時代は、現代を相対化する鏡になります。つまり、現代の価値観や社会は唯一無二ではないということを教えてくれるのです。それに気付くことが最も大事だと考えています。

○反国家主義には嫌悪を感じます。現代社会では、国民として国家に帰属し、現実的な利害をともにしなければ生きてゆけないし、治安や医療をはじめ、さまざまな面で国家のお世話にもなっているわけですから。また、国連に協力するために自衛隊を海外に派兵するのは当然だと思います。それを拒否するのは、エゴイズムにほかなりません。だだ、国家を超え、国家に依存しない人間の生き方を追求したい気持ちもあります。

○西郷(隆盛)を語るうえでまず指摘しておきたいことがあります。それは、江戸中期以降、農民・商人を問わず、自分は人間として非常に価値のあるものであるという意識、さらには身分制というのは社会を運営してゆく一つのシステムにすぎず、身分に貴賤はない、といった考えが広がっていったことです。〜明治政府という近代国家が誕生し、四民平等をうたいながら国民一人一人を把握してゆくとともに、徴兵令や地租改正といった施策を次々とー農民たちの目からすれば強権的にー施行してゆきました。加えて、利害を異にする個人や法人が、合法的な競争のもとに決着や妥協を図る近代社会は、うまく立ち回った者が得をし、正直者は損をするという、それまでとは打って変わった神も仏もない世の中と映ったことでしょう。

○〈渡辺さんの著作によると、宮崎滔天北一輝は西郷の系譜に連なるという〉北は西郷や西南戦争について矛盾した見解を残しています。〜ただ、基本的には流産した明治維新をやり直そうとする歴史的文脈の源流として西郷をとらえていたはずです。前述した民へのまなざしという点では、西郷を最も受け継いでいるのは滔天でしょう。

○自分の国の悪口を言いたがるのは日本だけではなく世界中のインテリの特徴です。〜だだ、海外や別の場所に進んでモデルを求めてそれと同化し、日本の悪口を言うことによって自分が偉くなったような気になったり、喜々としていたりする態度には嫌悪感を覚えます。

○〈「実現すべき目的の超越的絶対性、組織の大目的への貢身、そのための自己改造、目的のためには強弁も嘘も辞さぬ点」で、近世の日本に宣教師を派遣した当時のイエズス会と「20世紀の共産主義政党」とは驚くほど性格・手法が一致しているーと渡辺さんは近著『バテレンの世紀』で指摘している。〉〜戦後の一時期の大問題はマルクス主義共産主義をどう批判し、乗り越えてゆくか、でした。〜人のためによかれ、と思って善を追求する。しかしそれが堕落したさいには最悪の結果を招く、その姿はまさに共産・社会主義体制であり、旧ソ連時代にソルジェニーツィンが描いた『収容所群島』の世界です。〜マルクスは資本主義を解剖することについては優れた仕事を残しましたが、「その後こうなる」という点では大間違いをしでかした人です。たとえば現代にマルクスを蘇らせて北朝鮮に案内し、「あなたの教えのおかげでこんな国ができました」と説明したら、肝をつぶし、「冗談じゃない」と大声をあげることでしょうね(笑)。

○〈昭和40〜50年代、渡辺さんは「狂気まがい」で水俣病患者の支援活動にあたった。〉実をいえば、石牟礼道子さんにいろいろと依頼され、「仕方がないなあ」ということで、「徹底的につきあうことになった」というところでしょうか(笑)。石牟礼さんは広い意味では同志です。でもそれ以上に僕にとってはとてつもない才能をもった芸術家でした。〜石牟礼さんは自分のことを小説家ではなく、詩人と考えていました。〜宗教的な預言者は神からの言葉を預かっています。ならば、石牟礼さんはだれの言葉を預かっていたのか。「山河の言葉」です。〜小説技法だけならば優れた作家はほかにたくさんいます。でも、日本の近代文学史を見渡したさい、石牟礼さんと比較できるのは宮沢賢治だけだと考えています。

以上、渡辺氏の発言を紹介したが、我が輩は「黒船前夜」を読了後、引き続いて「逝きし世の面影」(和辻哲郎文化賞)を読んだ。その後は、渡辺氏の動向に注目してきたが、そうした中で、今回の対談に出会ったのである。