共産主義思想の何が人々を熱狂させたのか

先月末、都内の映画館でヨーロッパ映画マルクス・エンゲルス」を観たことは記した。この際、映画館ではパンフレットと一緒に、マルクスエンゲルスが起草した本「共産党宣言」(岩波文庫)を販売していたので購入した。久しぶりに読んでみたが、共産主義思想の何が魅力で、多くの人々が熱狂して命を掛けたのか、と考えてしまうのだ。そこで最初は、この本の重要な部分(74〜76P)と思われるところから紹介する。

…労働者革命の第一歩は、プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義を闘いとることである。

プロレタリア階級は、その政治的支配を利用して、ブルジョア階級から次第にすべての資本を奪い、すべての生産用具を国家の手に、すなわち支配階級として組織されたプロレタリア階級の手に集中し、そして生産諸力の量をできるだけ急速に増大させるであろう。

このことは、もちろんなによりも、所有権への、またブルジョア的生産諸関係への専制的干渉なくしてはできようがない。したがって、その方策は、経済的には不充分で不安定に見えるが、運動が進行するにつれて、自分自身を乗り越えてすすみ、全生産様式の変革への手段として不可避なものとなる。

この方策は、もちろん、それぞれ国が異なるにしたがって異なるであろう。

とはいえ、もっとも進歩した国々にとっては、次の諸方策はかなり一般的に適用されうるであろう。

1、土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り向ける。

2、強度の累進税。

3、相続権の廃止。

4、すべての亡命者および反逆者の財産の没収。

5、国家資本および排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する。

6、すべての運輸機関を国家の手に集中する。

7、国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良。

8、すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成、特に農業のために。

9、農業と工業の経営を結合し、都市と農村との対立を次第に除くことを目ざす。

10、すべての児童の公共的無償教育。今日の形態における児童の工場労働の撤廃。教育と部質的生産との結合、等々、等々。

発展の進行につれて、階級差別が消滅し、すべての生産が結合された個人の手に集中されると、公的権力は政治的性格を失う。本来の意味の政治的権力とは、他の階級を抑圧するための1階級の組織された権力である。プロレタリア階級が、ブルジョア階級との闘争のうちに必然的に階級にまで結集し、革命によって支配階級となり、支配階級として強力的に古い生産諸関係を廃止するならば、この生産諸関係の廃止とともに、プロレタリア階級は、階級対立の、階級一般の存在条件を、したがって階級としての自分自身の支配を廃止する。

以上の文章は、多少具体的に経済政策を明示しているので、重要な部分として転載させてもらった。どうですか、転載した文章が、世界中の思想、哲学、経済分析に大きな影響を与えたことが理解できますか。さらに、二十世紀に入ってからは、マルクス・レーニン主義という思想に発展して、多くの人々が熱狂した背景が理解できますか。

フランスの専門家、ステファヌ・クルトワらが「共産主義黒書〈ソ連篇〉」で示した控えめな推計でも、共産主義体制により命を奪われた人は、世界中で9436万人にも及ぶという。つまり、共産主義思想は、人類史上、これほど多くの人々を非業の死に追いやった思想であるのだ。それにもかかわらず、これだけ多くの人々が熱狂したとは…。

ところがである、日本でも戦後、一流大学を卒業した人たちの中から、大勢のマルキストが生まれた。その例を、我が輩の経験から記したい。

昭和55年頃、我が輩の職場で幹部の引き継ぎがあった。幹部2人は、共に東大卒の警察官僚で、生まれも共に大正末であった。昼休みか、幹部2人が幹部室から出て、我が輩などがいた大部屋に入るなり、後任の幹部が「私は学生時代、マルクスボーイでね。まさか、ここにくるとは思わなかった」と言ったのだ。すかさず、古手の課長補佐(昭和4年生)が、「これだから、困るんだよなぁ」と述べておちょくった。そして、我が輩に対して、視線を向けたのだ。その後、前任者は後任者に対して、「君は、日本が敗戦しなければ、今頃“陸軍大将"になっていたのではないか」というのだ。確かに、体格ががっしりしているので、それに相応しい雰囲気ではあったが…。

そのほか、昨年春に北朝鮮情勢がひっ迫してきたので、ある北朝鮮問題の講演会に参加した。講演終了後、二次会ということで、近くの飲食店に移動した。会が始まって1時間半後、遠来の参加者が多数、列車時刻に合わせて店を出て行った。そこで、我が輩は参加していた東大名誉教授(昭和15年頃生)の隣りの席に座った。この際、教授との間で下記のような対話をした。

私「先生、良い仕事をしていますね」

教授「いや、活動が遅すぎたくらいだ」

私「なぜ、北朝鮮の○○○のために、このような素晴らしい活動をしょうと考えたのですか」

教授「単純だよ。可哀想と思ったからだ。実は私は、この活動をする前まで、マルキストだったのだ」

私「えー。それでは、五十歳過ぎまでマルキストだったのですか」

教授「そう言うことになる」

私「先生の専門は、なんですか」

教授「○○○○です」

私「考え方という部分では、同じような学問ですね。それにしても先生、気がつくのが、遅すぎますよ。共産主義思想は、遅くても二十代で捨てなければ…」

教授「だから、教え子たちから『先生も、生まれるのがもう少し遅ければ、マルキストになることもなかった』と言われている」

私「なぜ故に、共産主義を捨てたのですか」

教授「うーん。共産主義には“人権がない"ことを知ったからだ」

私「頭の良い先生が、なぜ気がつかなかったのですか。遅すぎますよ。例えば、戦前の日本では、特高によって、百人くらいの人たちが殺された」

教授「うーん。まあいいや」

私「しかしながら、旧ソ連では何千万という人々が、銃殺、拷問、栄養失調で亡くなっている。勉強すれば、共産主義体制の悲惨さは、解ることではないですか。殺すということで、百人も、何千万人も一緒と言うのであれば別ですが…」

教授「君、どこに勤めていたの…」

私「○○○○○です」

教授「そうか。君ね、これを読みたまえ」(紙に書名を書く〈すみません、買わずに紙をなくしてしまった〉)

私「著者は名前から、フランス人ですね」

教授「そうだ。これを読むと、色々と考えてしまう」

などと対話をしていると、二次会は終了してしまった。

要するに、頭の良い東大卒の中にも、戦後まもなく卒業して警察官僚、そして最近までマルキストを名乗る東大教授がいたのだ。つまり、ヨーロッパでは共産主義思想は克服されたが、東アジア(特に漢民族朝鮮民族)では未だに克服されていない感じを受ける。だから、最後は「アジア人よ、目を覚ませ!共産主義思想から…」と訴えたいのだ。