勲章制度を「栄誉に合理性はない」に納得!

筆者は、以前から「勲章制度」(現在22種類)に疑問を感じてきた。そうした中、今月発売の月刊誌「選択」(2月号)に、我が意を得たりの記事が掲載された。それは、河谷史夫氏の「本に遇うー栄誉に合理性はない」で、その中の登場人物・野田良之の考え方に凄く共感を覚えたことから、長文になるが転載させてもらいます。

野田は比較法学者。1912年生まれ。府立一中、一高、東京帝国法学部の秀才で、助手、助教授から教授でフランス法講座を持つ。パリ大学教授を併任して日本法を教え、帰朝して「比較法言論」の初代教授。六十歳で定年退職して学習院大学に移り「法哲学」を担当、七十歳で定年退職するや千葉県柏市に引っ込んだ。礼記にいわく「七十ヲ老人トイフ、耐シテ伝フ」。悠々自適のなか多々書き置いてくれると後生のためになると思われたが、天は余命を赦さず、ただ一編の随筆集『栄誉考ー柏随想』を残したのみ、余生はわずかニ年で他界した。七十ニ歳。

野田の「栄誉嫌い」は徹底していて、学者なら誰もが喜んで受ける日本学士院会員に推されても、これを峻拒した。「栄誉というものについては、クリスト教徒としても人間としても甚だ消極的な気持ちしか持っていないので、到底受けられない」と言うのであった。向こうがなってほしいと言うのだから、受けて差し支えないだろうと口説かれても断固拒否した。パリ大学名誉博士授与の話も断った。

野田は外交官だった父の任地のブラジルに生を享け、クリスチャンであった。心のよりどころは聖書で、栄誉の問題も「僕、命ぜられし事を為したればとて、主人これに謝すべきか。斯くのごとく汝らも命ぜられし事をことごとく為したる時『われらは無益なる僕なり、為すべき事を為したるのみ』と言へ」(ルカ伝十七章九−十節)に拠って考えた。

才能は天与の賜であり、恵まれた人が立派な成果を挙げたとして、それは当たり前のことではないか。功績はその人の功労というよりも「為すべき事を為した」に過ぎないのである。

自分のことについても「私はかなりの才能を与えられ、その結果、幸運にも人に羨まれる社会的地位にも就き、才能において私より劣るところのない多くの人々よりも恵まれた生活を送ってきた」と言い、「いま余生を楽しんでいるのも国民の税金のおかげである。これ以上国家から優遇されることは心苦しい」と謙虚なのである。

なぜ栄誉を拒むのか。それは栄誉に合理的な説明がつかないからである。文化勲章のような国民的栄典に選ばれた人たちの業績を、野田は「毫も疑わない」としながら、「問題は無数の選ばれなかった人に比してより優れていたと言えるのかどうかにある」と言って憚らない。栄誉を受くべき人は公正に選ばれているのか。「真に表彰さるべきは、無名・謙虚にして世に大きく貢献している人であると思うが、そういう人選はなされていず、既に名を成している人に栄誉が集中しているように思う」。

モンテスキューは政体を共和政、君主政、専制政の三つに分け、それぞれの運動原理として、徳、栄誉、恐怖を挙げた。「栄誉は君主政を動かすバネであり、栄誉を与えて他律的に市民の活動を促進する」。つまり「勲章制度は君主政の遺物」なのだ。戦功なら等級付けもできなくはないだろうが、今日の非軍事的勲章が表すはずの社会活動における勲章の評価となると、公平な判定は実質的に不可能である。

従って形式的基準に当てはめて格付けをする。国家機関の上位にいた者は格別功績がなくても上等の勲章を貰う。叙勲名簿は現役時代の序列どおりに並んでいる。大学教授も、国内大学教授が上で私立大学教授はたいてい下である。野田に言わせると「国立大学は総じて設備もよく、学生の質もよいから、教育の効果が私立に比して上るのは理の当然で、教授の功績ではない」とにべもない。

しかも不可解なのは、小学校の先生には例外的にしか叙勲がないことだ、と指摘する。〜「はたしてソクラテスプラトンアリストテレスが勲章を貰ったか」

以上の記事を紹介したのは、命を懸けた人物や、新たな価値を生み出した人物、文化を継承・維持発展させた人物が、それなりの功績で栄誉を得ることは理解出来る。しかしながら、それに該当しない人物が、とんでもない上等の勲章を受けている現実を観ると、現在の「勲章制度」に疑問を持つのだ。特に、地方議員や国家公務員(行政)に対する叙勲に対しては、非常に疑問を持つ。その背景には、紹介した文章にもあるが、「形式的基準に当てはめて格付けをする。国家機関の上位にいた者は格別功績がなくても上等の勲章を貰う」という方式だ。その中でも、都道府県議会の議長や、五流官庁の幹部たちに対する上等の叙勲には、特に疑問を持つ。

先ずは、議長たちであるが、彼らは地方の国立大学学長と同じレベルの勲章を受ける。はっきり言って、それに値する人物であるのか。現在は、与党議員の中から多選の人物が、何らかの“工作"で選出される。昔は、愛人多数の人物が選ばれていた時代もあり、その後も議長経験者が長年、上等の勲章を受賞している。

次いで、五流官庁の元幹部に対する叙勲である。世の人たちと話していると、中央官庁のキャリアは、相当優秀な人物と見られている。ところが、一流官庁のキャリアには納得するものの、五流官庁のキャリアの半数、いや八割は“キャリアに値しない"人物たちである。つまり、論文は書けない、講演は出来ない、まともな分析は出来ない、シンポジウムで討論が出来ない、というような人物が多い。その背景には、ほとんどのキャリアは希望の官庁に入れず、五流官庁に入庁しているので、そもそも入庁した役所の仕事に関心がない。だから、屁理屈を述べることは長けているが、肝心な業務をリード出来ない。

即ち、そのような幹部が、満七十歳になると自動的に“叙勲対象者"になる。さらに最近では、長期病休やアル中、パワハラで部下を自殺させた幹部も、自動的に“叙勲対象者"になる。つまり、能力や功績に問題があるキャリア、あるいは上司への胡麻擂り、取り入りがうまい人物が“叙勲対象者"になっている。それを考えると、今のままでの「勲章制度」で良いのか、また、栄典を担当している「内閣府賞勲局」も、今の体制で良いのか、と思考してしまうのだ。