平尾誠二と山中伸弥の友情物語

NHK総合「ニュースウォッチ9」は10月17日、ラグビー平尾誠二(1963年1月21日生)とノーベル賞山中伸弥(1962年9月4日生)の友情物語を放送した。我が輩は、この物語に感動して、すぐさま新刊本「友情 平尾誠二山中伸弥『最後の1年』」(著者=山中伸弥平尾誠二・恵子)を書店に注文した。読了後の感想としては、平尾氏の賢さは知っていたが、山中先生の人間性の素晴らしさを改めて知った。ということで、今回は故人を偲んで、平尾氏の発言内容を中心に紹介したい。

平尾氏と山中先生は、10年9月30日、「週刊現代」の対談企画で初めて出会うが、その後も友人として交流を重ねてきた。そうした中で、15年9月11日、二人は知人を交えて飲食したが、深夜に帰宅した平尾氏が吐血した。翌日の診断では、肝臓の中にできる胆管癌(肝内胆管癌)で、癌は驚くほど肝臓の中に広がっていたという。その後、入退院を繰り返して、翌16年10月20日(木)の午前7時20分に亡くなった。享年53。

これからは、平尾氏が山中先生に語ったラグビーチームの指導論や強化論を紹介する。先ずは、山中先生が最も心に残り、「感謝の集い」(本年2月10日)の弔辞でも述べた「人を叱る時の4つの心得」である。

○プレーは叱っても人格は責めない。

○あとで必ずフォローする。

○他人と比較しない。

○長時間叱らない。

次は、どのような時に選手を叱るのか。

「これだけはあかんと思うのは、我慢すればできることをしない奴。スクラムを組むとか、ある一定の姿勢を保つとか、我慢によってできることってあるやないですか。しんどくてもここは我慢や、ということをやらない奴は、叱ることが多いですね。その一方で、寛容にならないといかん奴もおるんです。例えば、クリエイティブなポジションの奴に対しては、寛容でないといかんね。」

さらに、ラグビーのチームワークについて。

「いちばん素晴らしいチームワークは、個人が責任を果たすこと。それに尽きる。もっと言うと、助けられている奴がいるようじゃチームは勝てないです。強い時のチームっていうのは、助けたり助けられたりしている奴は一人もいない。」

このほか、高校ラグビーチームが参考になる発言。

「高校ぐらいまでは、絶対に核になる選手が必要である。そういう核になる選手がプレーの中で影響力を持って、多少リーダーシップもあれば、皆がわーっと引っ張られていく」

「高校ぐらいまでは、ヘッドコーチや監督が必要である。だけど、高校とか大学も強豪チームは違うと思う。そういうチームは『監督がきわめて素晴らしい』という感じがほとんどなくて、実際、大部分の監督が何もしない人ですよ。高校や大学は、選手たちで統治できているチームのほうが強くなっていく。」

最後は、山中先生のモットーも紹介する。それは「ビジョンとハードワーク」というもので、長期の展望(ビジョン)を見据え、それに向かって努力を重ねる(ハードワーク)ことが大切だとする考え方。山中先生は三十代前半の頃、留学先のグラットステーン研究所(アメリカ)で当時の所長からこの考え方を教えられ、生涯のモットーとしているという。

それにしても、これだけ二人の友情関係が深くなった理由には、山中先生が神戸大学医学部時代の3年間、ラグビー部(ロックかフランカー)に所属していたこともある。と同時に、二人は同学年という背景もあると思う。我が輩の思考であるが、今でも同学年の友人との交流が多い。その理由は、我が輩のように態度がデカイ人間でも、どうしても年上だと“さん付け"、年下だと“君付け"などに気を使ってしまう。それに対して、同学年だと余り配慮する必要がないと思うのだ。それを考えると、二人が急速に親しくなった理由は理解出来る。

それにしても、と二度使ってしまうが、平尾氏が所属していた神戸製鋼所の“製品の性能データ改ざん問題"は、今後どのような展開になるのか。何だか、東芝三菱自動車の場合より深刻な事態に陥るのではないかと心配している。最近の神戸製鋼ラグビー部の試合も、何だか選手に影響を与えているようで、3連敗と苦しんでいる。だから、最後は“神戸製鋼ラグビー部頑張れ!"で閉めたいと思う。