高英姫とその娘・与正のスウェーデン旅行を報道した産経新聞

北朝鮮朝鮮労働党は7日、金正恩党委員長らが出席して中央委員会総会を開催した。その際、正恩の妹で党宣伝扇動副部長とされる金与正(キム・ヨジョン)が党政治局候補に選ばれた。

すぐさま、コリア・レポート編集長の辺真一氏は、ネットに「金正恩委員長が実妹を『影のNo.2』に抜擢した理由」という文章を掲載した。その中に、筆者が驚いた一文があった。

与正氏は幼い頃から母親に連れられ外国に旅行しているが、1991年5月には兄ともども来日し、ディズニーランドで遊んでいたことが確認されている。翌年の1992年にも7月20日から8月7日まで母親と一緒にスウェーデンでバカンスを過ごしたことも確認されている。当時、産経新聞スウェーデンで買い物している母子の写真を載せ「金日成主席の愛人とその子」ではないかと「スクープ」したが、実際には金総書記の夫人(高英姫)とその娘(与正氏)であった。

驚いたのは、当時の「産経新聞」(1992年8月9日付け、前田徹)を思い出したからだ。その時の「産経新聞」は切り抜いて手元にあり、長年“あの女性は誰なのか"“女の子は誰の子供なのか"と考えてきた。その女性が、金総書記の妻・高英姫(コ・ヨンヒ)とその娘・与正であるというのだから驚いたのだ。

その時の「産経新聞」の報道内容を一部紹介しよう。先ずは、写真であるが、1面にホテルから出た高英姫と与正、老女と男性(通訳兼ボディーガード)4人のカラー写真、社会面ではシュッピング街で買い物をする高英姫と男性通訳の白黒写真である。

記事の内容を紹介すると、

北朝鮮の指導者、金日成主席(80)の“隠された妻"と、二人の間に生まれたとされる5歳の女の子らの一行6人が、避暑客でにぎわう北欧の豪華ホテルに逗留していた。ドイツ及びスウェーデンなどの情報筋によると、金主席の愛人にあたる女性は「金松竹(キム・ソンジュク)」という30歳になる元ダンサー。金主席の子供を身ごもり、北朝鮮当局の手厚い配慮のもとに1987年5月、オーストリアのウィーンの病院で出産した。子供は女の子で「ペクヨン」と名付けられた。

産経新聞の調べによると、金松竹・ペクヨン母子は7月20日ごろ、「金ジョンス」という59歳になる祖母と3人の警護員とともにスウェーデンを訪れ、ストックホルムシェラトンホテルに泊まった。滞在中、イエーテボリなどの観光地を旅行した後、8月5日にストックホルムに戻り、7日にホテルをチェックアウトし、午後4時45分発の中国民航912便で北京経由で帰国した。

○ソンジュクさんはかつて舞踊家だったというだけあって、身長160㌢以上はあるスラリとした美人だ。室内でもサングラスをはずさない。

○ペクヨンちゃんは目がくりくりとして、母親よりもむしろ“父親似"の女の子。黒白の水玉模様のタイツにブルーのスエットシャツ姿。活発で、いつもワニの縫いぐるみを抱え、ロビーを走り回ろうとするため、二人のボディーガードはいさめるのに大変な様子。

○帰国の際には、ホテルからタクシー3台に分乗したが、そのうち1台は段ボール5個、大型旅行カバン8個という荷物の山を乗せている。大半は電化製品や衣類のようだ。食料品も含まれている。この大量の買い物の結果、空港でチェックインするのにゆうに30分以上はかかった。

以上が報道内容であるが、まさか高英姫一行の記事とは考えてもいなかった。確かに、よく写真を見ると、高英姫のような感じを受けるが…。

このほか、スウェーデン警察の監視活動の様子も書かれている。警備当局十数人は、旅行者姿に変装して、ロビーのあちこちで談笑していたが、高英姫一行が出掛けると、男5、6人がすぐにその後を追尾した。よく見ると無線機を隠し持っており、木陰で連絡を取りながら一行を囲むように歩いていた。

スウェーデンは北欧諸国であるが、昔から北朝鮮関係者の動向把握には努めてきた。つまり、北欧諸国であるので“平和主義国家"というイメージがあるが、日本の旧社会党朝日新聞のような、ただただ「憲法を守れ」というだけの“平和主義国家"ではない。昔から自由主義陣営の一角として、やることは、最低限やる国家なのである。

それにしても、産経新聞は大した新聞だ。昔は、裏付けの取れない記事を掲載したことで、他の新聞から軽く見られていた面がある。しかしながら、今から思い返すと、1980年1月7日付けの産経新聞が「アベック3組ナゾの蒸発」という見出しで、拉致の存在を初めて報じるなど、これまで“北朝鮮報道をリード"してきたと思う。今回紹介した記事も、今から振り返ると、それなりに価値がある記事と考えるのだ。