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増毛町と「オロロンライン」の思い出話し

12月4日、北海道の北西部を走るJR留萌線留萌〜増毛間(16.7㌔)が、95年間に及んだ営業運行を終えた。最終日の運行状況は、テレビや新聞が報道していたが、町民や鉄道ファンら約300人が「蛍の光」の演奏に合わせ、ペンライトを振りながら最終列車を見送っていた。鉄道ファンとしては、寂しい限りであるが、利用者がほとんどいない以上、仕方がないことである。

という訳で、今回は増毛町と「オロロンライン」の思い出話しを書きたい。もう9年前になるが、増毛町を訪ねた。この時には、まず最初に故高倉健の主演映画「駅 STATION」(1981年)のロケ地、増毛駅前の「風待食堂」に赴いた。当時、すでに駅は無人で、人通りも少なく、寂しい風景であった。また、増毛町には、日本最北の酒造メーカー「国稀酒造」があるが、時間帯が合わず、店内に入れなかった。このほか、当時から評判の古い木造二階建ての小学校を、敷地外から眺めたことを覚えている。

そうそう、増毛町の有名な食べ物は、海産物ということで、地元で評判の寿司屋で「ちらし寿司」を食べた。支払いは三千五百円だったと思うが、料金が高く、旨いのは当たり前で、遠方から来た観光客が、二千円前後で“感激する"海鮮丼を食べられたら良いと、その時思った。

ところで、札幌市から稚内市まで、乗用車で日本海沿いを北上したが、この間の風景がまた素晴らしい。地元では、小樽市から稚内市までの国道を「日本海オロロンライン」(約380㌔)という名称を付けて宣伝しているが、納得できるドライブコースである。

先ずは、札幌市から北上すると、最初の立ち寄り先は「雄冬海岸」である。この海岸、切り立った海岸のために北海道の海岸線の中では、もっとも遅く開通した場所だ。高倉健の映画でも、雄冬に行く予定の警察官(高倉)が、増毛港からの連絡船が吹雪のために出航出来ないという筋書きであった。現在は乗用車で行けて、民宿も数軒あるので、雄冬に宿泊するのも良いかもしれない。

更に北上すると増毛町で、その先は留萌市である。留萌市の観光資源は「黄金岬」で、夕日が美しいらしい。

小平町に入ると、重要文化財「旧花田家番屋」の建物がある。説明書きには、「番屋とはニシンの漁期に使われる建物で、いわば現場事務所兼漁夫の宿泊施設です」と書かれていた。この場所で見逃してはならないのは、「三船遭難慰霊之碑」である。三船遭難とは、昭和20年8月22日に、樺太からの引き揚げ者5082名を乗せた泰東丸、第2新興丸、小笠原丸の3隻が、旧ソ連軍の潜水艦による雷砲撃で1708名が亡くなった事件のことだ。実は、亡き横綱大鵬は、母親の体調が優れずに稚内で下船したことで、この遭難事件に巻き込まれなかった。

隣町の苫前町は、1915年12月の熊害事件で、8人の死者を出した町だ。町の「郷土博物館」を訪ねたところ、大きなヒグマの剥製が展示されていた。

更に北上すると、天塩川の河口に到着する。筆者が、今でも覚えている風景は、河口から約10㌔近く、海岸線と平行して流れている天塩川である。その流れは緩やかで、河口が雄大であったことが、今でも鮮やかに覚えている。多分、樺太シベリアには、このような風景が広がっているものと思ったものだ。

もう一つ、天塩町でのお話し。天塩高校付近で、ガソリンを入れたが、その際に年齢40歳くらいの男性に対して、「今の財務省事務次官、天塩高校を卒業しているが、知っているか」と尋ねたところ、当人は「地元の人間だが、知らない」との返事。当然、地元では評判になっていると考えていたが、官僚の中の官僚を知らないとは、高級官僚も悲しい身分だとその時思った。だが、苫前町役場で対話した某課長は知っていた。

この辺りで「オロロンライン」の風景が変わるが、ここまでの地形は二段構えで、これを「海岸段丘」というらしい。国道は、海岸線に近くを走り、何かの雑誌が「イギリスの海岸と似ている」と紹介していた。つまり、余り日本では見かけない風景なのだ。

先を急ごう。途中にも見晴らしの素晴らしい露天風呂(初山別村の「岬センター」か)があったが、稚内市のノシャップ岬付近にも、お湯が素晴らしい温泉施設が存在する。この温泉施設の露天風呂では、年寄りの樺太引き揚げ者と対話したが、その時にも旧ソ連軍の乱暴さの話しを聴いて、怒りを覚えたことを記憶している。

以上、この地域の観光資源を紹介したが、何ともいえない味わいがある地域であった。皆さんも、時間があれば、是非とも乗用車で訪ねてみて下さい。