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元駒大苫小牧監督・香田氏の生き方

我が輩は、以前から駒大苫小牧高校野球部監督・香田誉士史(よしふみ)の去就に注目してきた。何故なら、東北勢の悲願である「(優勝旗の)白河越え」を飛び越え、津軽海峡を渡って、甲子園の優勝旗を北海道に持ち込んだからだ。更に、監督を突然辞任し、そして、いつまでたっても高校野球部の監督に復帰しないからだ。

そのような中で、最近「勝ち過ぎた監督ー駒大苫小牧幻の三連覇」(著者=中村計、427ページ)という本が出版された。さっそく購入して読了したが、大変面白いと同時に、著者の文章力に感心した。ささいなことでも、実に見事な描写で表現しており、さすが文章力で生活している人の文章と思った。

それでは、我が輩が以前から疑問に感じていたことを紹介したい。

1.なぜ故に、駒大苫小牧夏の甲子園で「優勝、優勝、準優勝」(2004〜06年)できたのか?

○野球の質で言えば、北海道のチームではない。足をふんだんに使ったり、セーフティーバントを仕掛けたりして揺さぶってくる。北海道は大味な印象があったので異色でしたね。(北海道栄監督の言)

駒大苫小牧が優勝するより先に、北海道の中学生チームが全国を経験していた。(香田監督の言)

駒大苫小牧と、横浜の決定的な差ー。それは、やらされているか自ら考えてやっているかの違いだ。(中学生チーム監督の言)

○三年連続で二回戦登場のクジを引いた。(著者)

○大会終盤になってもあれだけの体力を維持できているというのは、点滴の力も大きい。(香田監督の言)

○(香田監督の)無神経でずぼらなところは、超デリケートで、超神経質な部分の裏返し。(友人の言)

2.なぜ故に、香田監督は辞任したのか?

○香田監督が辞任会見を開いたのは06年8月20日であるが、本人は辞めるつもりはなかった。決めたのは、校長、副校長、事務長の三役会議で、限りなく「解任」に近い、辞任だった。(著者)

3.なぜ故に、香田氏は再び高校野球の監督に就任しないのか?

○香田はいくつもの高校から監督就任の誘いを受けたが、さまざまな理由から断り続けている。(著者)

○06年秋頃から、飛行機に乗れなくなった。精神的なもので、最近ようやく飛行機に乗れるようになった。(著者)

4.今後、香田氏が高校野球の監督に就任することはあるのか?

○香田はもう一度、高校野球の世界に戻ってこなければならない人間なのではないか。高校野球でやり残したことがあるのではないか。(著者)

著者は、本の最後に「駒大苫小牧は、要は勝ち過ぎたのだ」と書いている。更に、東海大甲府を1979年から13年間で、春夏合わせて11回甲子園に導いた監督が、校長から「県外からこんなに集めて何が嬉しいんだ、もう県外からは穫るな」と言われて、瞬間に頭にカッと血が上がって、灰皿を投げつけて、辞めたという話しを紹介している。このほか、甲子園で3度全国制覇した茨城県の名監督・木内幸男の発言「甲子園は3年に一度出ればいいの!そうでないと、ねたまれっから!」という発言も紹介している。

そこで、木内氏の発言で思い出すことがある。昨年末、遠軽高校ラグビー部が花園出場した際、地元の年配者二人が「北海道の高校ラグビー界では、遠軽札幌山の手は、何回も花園に出場しているので、他校から目の敵にされている」という発言である。その発言を聞いて、嫌な感じを受けたが、ある面、これが現在の高校スポーツ界の現状なのかも知れない。だが、スポーツ本来の醍醐味は“強豪打倒"であり、そこには努力、工夫、ロマン、歓喜などを生み出す要素があり、それが感動を呼ぶのだ。

香田監督は08年3月某日、職場の教員二人の見送りを受けて、寂しく乗用車で苫小牧を去った。その後は、同年5月から横浜市鶴見大学、12年からは福岡の西部ガスのコーチをしている。

勝ち過ぎて、学校を辞めざるを得ないとはおかしなことである。香田氏に対しては、健康に自信がつけば、再び高校野球界で活躍して欲しい。これが我が輩からのメッセージである。