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書評「最高機密エージェント−CIAモスクワ諜報戦」

8月に新刊書「最高機密エージェント−CIAモスクワ諜報戦」(著者=デイヴィッド・E・ホフマン<「ワシントン・ポスト」紙の編集者、434P)を購入したが、リオ五輪の影響で読書を一時中断して、9月末に読了した。内容が濃く、最近発売された“スパイ本"の中では、最高傑作と思う。9月8日発売の「週刊文春」で、東京新聞編集委員・五味洋治が書評しているが、今後も専門家の書評が新聞や書籍に掲載されると思う。それくらい、凄い内容であるので、是非とも情報官庁の職員には読んで欲しい。

舞台は、米ソ冷戦時代の1977年1月12日、主役のアドルフ・トルカチェフが、モスクワ市内のガソリンスタンドで給油していたCIA(中央情報局)モスクワ支局長に接触を試みる。しかし、CIA側はKGB(国家保安委員会)の“送り込み"を警戒したが、トルカチェフは、さらに四度も支局長に近づいた。78年3月5日には、CIAへの手紙で自分の身分を明らかにして、同年8月24日にデッド・ドロップ(直接あわずに物をやり取りする方法)を実施した。そして、翌79年1月1日にCIAモスクワ支局と1回目の会合を実施した。

トルカチェフの身分は、軍用レーダー、特に戦闘機に搭載するレーダーの開発に携わる、ソ連の二大研究所の一つ「電波工学研究所」に勤める設計者であった。彼が恐ろしい危険を冒して、勤務先の研究所から回路基盤や設計図を持ち出したことで、ソ連の今後10年にわたる兵器開発計画がつまびらかになった。彼のスパイ行為は、アメリカを空中戦で優位に押し上げ、ソ連の防空能力の弱点を暴露した。その結果、アメリカの巡航ミサイルや戦闘機はレーダーに探知されることなく飛行可能となった。

トルカチェフがスパイになった動機は何か。それは、74年1月にソルジェニーツィンが逮捕されてソ連から追放、75年にはサハロフがノーベル平和賞を受賞したが、受賞式のために国を出ることを許されなかった。これらの出来事は、トルカチェフに深く、忘れがたい印象を与えた。彼はのちに、その時に感じた幻滅が、自分の動機になったとCIAに説明している。さらに、CIA工作担当者は「“体制に仕返ししてやる"(妻の父親スターリン体制の犠牲者)という動機に加え、ある種の物欲、特に息子に何かしてやりたいという気持ちに突き動かされいる」とCIA本部に報告している。

最後の会合は、85年1月18日で、21回目であったが、その時には彼の口座には“199万729ドル85セント"の積立金があった。トルカチェフは85年6月9日に逮捕され、13日には四人目のCIA工作担当者が、トルカチェフに会いに行く途中に逮捕された。トルカチェフは、翌86年10月22日、ソ連タス通信が「スパイ行為による大罪」で処刑されたと伝えた。

それでは、なぜスパイ活動が暴露したのか。暴露したのは、KGBではなく、身内の裏切り者だった。その人物は、トルカチェフの次の工作担当者となる予定だったエドワード・リー・ハワードで、出発前に規定のポリグラフテストを受けると、繰り返し嘘をついていることが示された。そのため、CIAはポリグラフテストに四度も落ちた新人を、ソ連で最も重要な作戦を任せられないと考えて、事実上解雇した。これに恨みを持つたハワードは、数週間後にソ連領事館を訪れ、85年1月にソ連に逃亡した。その後、ハワードは2002年7月12日、モスクワの自宅で転倒し、50歳で死んだ。

2014年8月11日、CIAは本部にある特に偉大な作戦を描いた多くの絵画の中に、トルカチェフの肖像を新たに加えた。その肖像画は、トルカチェフが自宅アパートでペンダックス35ミリカメラを手に、二つのデスクライトに照らされた機密文書を撮影する姿が描かれている。

本の中で、多くのページを占めているのは、CIA工作担当者とトルカチェフが、モスクワ市内で会合するための準備状況である。それくらい、スパイ活動の会合には準備が必要であるし、一番緊迫する場面である。つまり、如何にして数千人のKGBの監視網から逃れられるのかが、最大の見せ場になる。特に、82年5月24日(15回目)から翌83年3月16日(16回目)までの間は、CIAが最もトルカチェフとの会合に苦労した期間であった。

最後に改めて、トルカチェフの貢献度を紹介したい。トルカチェフは、ソ連の攻撃を防御する地上レーダーと、戦闘機に迎撃能力を与える機上レーダーの二つの重要な兵器システムを弱体化し、打ち負かすためのロードマップをアメリカに提供した。具体的に紹介すると、ミグ23戦闘機、ミグ25高高度迎撃機、ミグ31迎撃機、ミグ29とSU27の多目的戦闘機などに搭載するレーダーの設計や能力に関する極秘文書をアメリカに大量に渡した。さらに、ソ連が次期空中警戒管制機、空飛ぶレーダー基地を開発中であるとアメリカに最初に伝えた。これで、アメリカは冷戦の競争において圧倒的に有利になった。80年当時、アメリカ空軍は、トルカチェフの貢献度を研究開発費で節約できた分をドルに換算すると、「だいたい20億ドルくらい」と計算した。つまり、トルカチェフは“10億ドル以上"の多大な利益をアメリカにもたらしたスパイであったのだ。