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沖縄の「平和の礎」に刻銘されたオホーツク管内の戦没者

6月末の沖縄訪問では、県営平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」の視察は外せないと考えた。その理由は、沖縄戦による日本側の戦没者約21万人のうち、沖縄県民の約14万人に次いで多いのは、北海道出身者の約1万人であるからだ。そして、「平和の礎」は、沖縄戦で亡くなった全ての人々の名前を都道府県別に刻んでいるので、北海道出身者の刻銘は14支庁別に刻まれている可能性があると考えた。そうであれば、吾が輩の故郷・オホーツク管内(最近、網走支庁から改名)の戦没者数が判明すると考えた。

栃木県の有志一行と「平和の礎」に到着し、栃木県民の刻銘を探したところ、北海道から南へ順に刻銘碑が並んでいたので、すぐにわかった。最初に「栃木県」と刻み、その下に五十音順で名前が横に刻まれ、縦に30人刻銘されていた。そのため、人数はすぐに計算できた。栃木県は「673人」であった。ところが、荒井退造の刻銘は、別の場所で発見したが、そこには「1996年追加刻銘 荒井退造」と刻んであった。何故に「平和の礎」が完成(1995年)した翌年に刻銘されたのか、今でも判明しない。

引き続き、北海道出身者の名前が刻まれた刻銘碑に赴いたところ、吾が輩の想像通り、支庁別に刻銘されていた。ところが、刻銘が多いことから、オホーツク管内の刻銘碑が、なかなか見つからない。やっとの思いで「網走支庁」と刻まれた刻銘碑を見つけたが、そこも縦に30人の名前が刻まれていた。数えてみると、「1123人」もいた。栃木県よりも多いには、驚いてしまった。

何故なら、現在の栃木県の人口は約200万人で刻銘673人、一方、オホーツク管内は人口約31万人で刻銘1123人であるからだ。当然のことに、戦前と現在とは人口が違うので、帰宅後に調べてみた。

昭和15年10月1日に実施された国勢調査都道府県別人口では、栃木県は120.7万人、北海道は327.3万人、網走支庁は29.3万人であった。これを人口千人当たりにすると、栃木県は0.6人、オホーツク管内3.8人、北海道(刻銘=10,800人)は3.3人である。やはり、オホーツク管内の戦没者が多いことがわかる。

それでは、何故に北海道出身者に戦没者が多いのか。沖縄戦では、牛島満中将率いる第32軍が編成(内訳は陸軍86,400人、海軍10,000人、現地編成の補助兵士20,000人)されたが、その傘下には第24師団と第62師団があった。第24師団の傘下には、旭川の歩兵第89連隊のほか、歩兵第22連隊と歩兵第32連隊にも北海道出身者が多かったようだ。

いずれにしても、オホーツク管内の戦没者は、人口の割りには多い。これでは、戦後になって、多くの住民が嘆き悲しんだことが想像出来る。沖縄戦は、日本全体を悲しみに落としめた“無謀な戦い"であった。