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筑紫哲也氏、それほど素晴らしい言論人なのか?

日本では、亡くなれば仏様との事。でも、今でもマスコミ界に影響力を及ぼしているならば話は別だ。

我が輩、以前から元朝日新聞記者・筑紫哲也(1935〜2008)の発言内容に怒りを感じてきた。しかも亡くなった今でも、たまに一部週刊誌が取り上げている。それほど、筑紫哲也は素晴らしい言論人であったのか?

最近、我が輩と同じ想いを持った人の文章に出会った。月刊誌「WiLL」3月号に掲載された、作家・井沢元彦の「筑紫哲也とともにTBSは死んだ」である。その記事の一部を紹介する。

「私は作家専業になるため、1985年に退社した。それからもマスコミ評論をしたり、テレビの現場レポーターの真似事をやったりしたので、報道の世界とは全く縁が切れたわけではない。ところがTBSのほうはその後、凋落の一途を辿った。もうお忘れになったかもしれないが、1989年にはTBSビデオ事件が起こった。

TBSのワイドショーのスタッフが、オウム真理教を批判する坂本弁護士のインタビュー映像を、放送以前にオウム真理教幹部に見せたという事件である。これが坂本弁護士一家殺害に繋がったのではないか、とTBSは当時、非難の嵐に晒された。

しかも当初、TBSはこの事実を否定しており、そのような事実があったと別の報道機関に抗議するという、昨今の朝日新聞社のような過ちを犯してもいた。その朝日から招聘された形で、TBSの看板報道番組『TEWS23』のキャスターを務めていた筑紫哲也氏が『TBSは死んだ』と番組で発言したのはこの時である。

しかし私は、そもそも筑紫哲也氏をTBSのメインキャスターに据えたこと自体が大きな過ちだったと思っている。彼は終始、北朝鮮を暗黙に支持する報道をし、拉致問題についても右翼の流したデマであるという印象を与える報道を繰り返していた。

事実を的確に報道することよりも、目的が正しければ視聴者を情報操作することも許されるという『朝日マインド』の権化のような人間が、メインキャスターに招聘されたとき、『TBSはすでに死んでいた』のである」

全くもつて、同感である。的確に筑紫哲也とTBSを批判している。実は我が輩、「TBSは死んだ」発言の放送をたまたま視聴していた。その日、筑紫哲也がメインキャスターを務める報道番組「筑紫哲也NEWS23」(1989〜2007)の中で、当人が立ったままTBSのオウム真理教に対する取材方法を激しく批判して、最後に「TBSは今日、死んだに等しいと思います」と発言したのだ。

我が輩、この発言を聴いて、てっきり番組を降りると思った。ところが、いつまで経っても番組から消えないので、どうしたものかと思っていた。ある時、ある週刊誌が「筑紫哲也は、TBSの番組に年間1億円で出演している。そのため、妻から辞めないよう言われている」旨書いてあった。何だぁ、あれだけTBSを批判したのに“カネのために辞めないのか"と思った。つまり、筑紫哲也は、口先だけの人間なのだ!

更に筑紫哲也、1970年前後の学生運動に大きな影響を与えた週刊誌「朝日ジャーナル」の編集長(1984〜87)を務めたことがある。我が輩の学生時代(1970年前半)、多少お利口ぶりたい学生は「朝日ジャーナル」を小脇に挟んで歩いていた。しかしながら、記事が“反米親ソ"の旧社会党の機関誌的であったため、どんどん読者を減らし、1992年廃刊になった。この週刊誌に煽られ、どれだけ多くの学生が左翼運動に関わり、人生を狂わしたことか…。

筑紫哲也が亡くなった後は、脱税問題が発覚。新聞によると、遺産相続7000万円の申告漏れ、そのうち4000万円は意図的に海外に資産を隠し、約1700万円の追徴課税との事(本当にこれだけの金額だったのか?)

テレビの中では、いつも“奇麗事"や“建前"だけ述べて年間1億円以上の収入、裏ではせっせと海外に資産を移していたのだ。

なぜ故に筑紫哲也は、今だに人気があるのか?多分、多少“男前"であったことと、激しい批判が左翼的思考の人々に受けたと考える。我が輩から言わせれば、左翼的見方からただただ批判、的確な批判や的確な提案などがあったのだろうか?