ある朝日新聞記者の思い出話し

未だに、週刊誌や月刊誌での朝日新聞批判が止まない。それに対して、朝日新聞は、慰安婦報道を検証する「第三者委員会」(委員7人)や「信頼回復と再生のための委員会」(委員8人)を発足させた。昨日は、「信頼回復委員会」の初会合が開かれ、委員の国広正・弁護士が、

○今年5月20日付けの朝日新聞1面トップの「所長命令に違反 原発撤退」の記事、原文を読むと「つまみ食い」して「命令違反の撤退」があったと強引に結論づけている。これは単なる行き過ぎた見出しというレベルを超えている。原発再稼働に反対するための事実のねじ曲げだ、と言わしても仕方ない記事です。

○自らの主張にこだわるあまり、ファクト(事実)に対する詰めが甘い。

○「自分たちの主張は正しいのだから事実確認は不十分でもよい」という傲慢さがあるのではないか。裏付けがなくても「それが事実であるはずだ」と思い込んで報道する「誤った使命感」があるのではないか。

ーとの意見が出されたとの事。的確な指摘であるので紹介した。

そこで今回は、ある朝日新聞記者の思い出話しを書きたい。何故なら、その記者の発言が、今でも我が輩の頭から離れないからである。

今から約15年前か、宇都宮市で開かれた「北海道ふるさと会」に出席した際、一人の朝日新聞記者と知り合った。彼は「父親が国鉄遠軽駅の助役をしていた」と紹介したが、高校は遠軽ではないとの言。昔、遠軽駅は機関区があり、大きな駅であったので、助役も数人いたと思う。

最初は、遠軽町の話しで弾んだが、政治的な話しになると、全然噛み合わない。彼の発言は、旧社会党と瓜二つ。具体的な発言は忘れたが、憲法改正反対、自衛隊憲法違反、非武装中立は正しい、北朝鮮の日本人拉致はなし等々であったと思う。

そして、意見が噛み合わなくなった時、彼は「あなたは、所属して職場から洗脳されている」と述べて、隣席から離れて行った。

半年後、再び「ふるさと会」で再会。我が輩がある出席者に対して、ニュースになっていた警察不祥事の解説をしていたところ、例の記者がニコニコしながら隣席にきた。そして、「警察のこと、詳しいですね。私も同じ考えです」と述べたので、我が輩は「東京の勤務では、4人の警察キャリア官僚の下で仕事をしていた。だから警察組織のことは詳しい。それに我が輩自身も色々な本を読んで勉強した」と返答した。その後、また政治的な話題になると噛み合わない。今回は、黙って隣席から去って行った。

それ以来、その記者とは会っていないが、年齢が10歳くらい年下であったので、今でもどこかの都市で現役記者として活躍していると思う。しかしながら、その記者の「あなたは洗脳されている」という言葉が、今でも耳から離れないのだ。まつたくもつて、我が輩を侮辱した言葉!先見性のない朝日新聞記者から言われたので、今でも思い出すのだ。

朝日新聞の記者は、優秀な人が多いという。しかしながら、終戦後からソ連邦社会主義共産主義というユートピアに魅かれて、果たして優秀な人たちといえるのか?今から振り返ると、優秀な人たちとはいえないはずだ。そのような人たちが集まった新聞社、それが朝日新聞である。

更にいいたい。つい20年前までは冷戦時代、その時代、朝日新聞の論調は、ソ連邦などに同調する“反米親ソ路線"に終始した。日本は、同じ価値観を共有する欧米諸国と自由主義陣営に組し、一党独裁共産主義体制と戦っているにも関わらずだ。この実体が、我が国のクオリティーペーパーといわれる朝日新聞の姿勢であった。

最後の締めだ。要するに、旧社会党は、冷戦構造が崩壊して、完全に国民の支持を失って、現在では影も形もなくなった。それを考えると、旧社会党の機関誌的な論調を展開していた朝日新聞は、完全に時代に取り残された。この世の中、絶対ということはない。だれも消滅しないと考えていたソ連邦も然りである。次に消滅するのは、北朝鮮か、一党独裁の中国か、そして朝日新聞社か…。