ウクライナ問題の本質は歴史にある

最近、ウクライナ問題をより深く理解するために、「物語ウクライナの歴史」(著書=黒川祐次・元ウクライナ大使、268頁)と「ポーランドウクライナ・バルト史」(執筆者9人、522頁)を読んだ。しかしながら、黒川氏の著書の方が理解しやすかったので、同人の著書を基にウクライナ問題を考えたい。

吾が輩は、学生時代からソ連邦をそれなりに勉強してきたが、ウクライナ人とロシア人の違いが良く解らず、東スラヴ民族として一体化して理解していた。黒川氏もまえがきで、

ウクライナがひとたび独立してみると、人々はヨーロッパにまだこんな大きな国が生まれる余地があったのかとあらためて驚いた。

○それは、ウクライナが1991年の独立まで自分の国を持たず、それまで何世紀もロシアやソ連の陰に隠れてしまっていたことによる。

○私は私自身がウクライナを「発見」したように、日本においてもウクライナが「発見」されるべきだと考える。

ーなどと書いている。要するに、ウクライナ専門家も、ウクライナの独自性に驚いているのだ。

ウクライナの独自性を歴史から見て行く。そもそもスラヴ民族は、紀元前に黒海北岸に進出した農耕スキタイ人説、サルマタイと深い関わりのあるアント人説があるくらい、現在のヨーロッパを構成するラテン、ゲルマン、スラヴの3大民族のうちでは、歴史に登場してくる時期がもっとも遅く6世紀である。そして862年、「キエフ・ルーシ公国」が成立したが、形成したのは東スラヴ人で、現在のロシア人、ウクライナ人及びベラルーシ人の先祖である。

1240年、モンゴルによるキエフ占領によりキエフ・ルーシは解体した。その後の14世紀半ばのハーリチ・ヴォルイ公国の滅亡、そして17世紀半ばにコサックがウクライナの中心勢力になるまでの約300年間、ウクライナを代表する政治権力は存在しなかった。この期間中に、ロシア、ウクライナベラルーシの3民族に分化した。

分化の一つの要因には、モスクワ大公国ポーランド王国リトアニア大公国と分割、それが長期間固定されたことがある。言語もこの時期にロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語と独立した言語になった。また、「ウクライナ」という地名、「コサック」が生まれたのもこの時期である。

そして、ウクライナ史最大の英雄であるボフダン・フメリニツキーが登場する。同人は、1648年1月にコサックの指導者(ヘトマン)に選出され、同年夏にポーランド軍を屈服させ「コサック国家」(ヘトマン国家)を形成した。しかし、1651年にはポーランドとの戦いが再開されたことで、コサック国家を守るために1654年、ベレヤスラフの町で、モスクワ国家との間で“保護協定"が結ばれた。事後的に見れば、同協定がウクライナ史の転換点となり、ウクライナがロシアに併合される過程の第一歩となった。そのため、今のウクライナでは、同人をウクライナの裏切り者と非難する人もいる。

いずれにしても、その後300年以上、ウクライナはロシアと一体化して歴史を歩んできた。ところが、1991年に独立してからは、世上が考えている以上の対立をロシアとしている。なぜなのか?これからは吾が輩の分析である。

要するに、ウクライナはロシアと1654年に一体化した以後、何一つ良いことがなかったからだと考える。例えば、移住及び移民の歴史を見ると、

○1896〜1906年の間に約160万人のウクライナ人が東方へ移住、そのため1914年にはロシア極東地方では、ロシア人の2倍にあたる200万人のウクライナ人が定住していた。

○移民は1880年代から始り、主にアメリカ及びカナダへ農民として移住。現在、アメリカでは150万人、カナダでは100万人のウクライナ系の住民がいる。

更に、ロシア革命以後、凄まじい数の人命が失われている。例を挙げると、

○1920〜21年の餓死者、ウクライナ南部を中心に約100万人と推定されている。

○1921年8月、ボリシェヴィキ軍がウクライナの武力勢力(マフノ軍)を虐殺、20万人が犠牲になる。

○1932〜33年にスターリンの下で起きた大飢饉では、300〜600万人の命が失われたと推計されている。

スターリンの1930年代の粛清の対象はウクライナ人。共産党員の37%にあたる17万人が粛清された。

第二次世界大戦では、ウクライナの人口の約6分の1にあたる530万人が死亡した。

これでは、ウクライナがロシアから離れたがっていることが、よく理解出来ると思う。

ところで、ウクライナ人に関しては、興味深い話しがある。

ゴルバチョフ家は、ウクライナのコサックだった。

○元横綱大鵬の父親は、ウクライナ人である。

北方領土の住民の約40%は、ウクライナ人である。

またもや、長い文章を書いてしまった。ここまで詳細に書かないと、ウクライナとロシアとの関係を明らかにすることが出来なかった。