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冬季オリンピック、これでいいのか?

この2週間、連日ソチ五輪をテレビ観戦した。堪能すると共に、なんと“くだらない種目が増えてきたことか"と感じた。

冬季五輪の種目数は、1924年の第1回シャモニー大会14、72年の札幌大会35、98年の長野大会68、前回のバンクーバー大会86、そしてソチ大会は7競技98種目と大幅増加。因みに、夏季五輪は25競技300種目。

要するに、冬季五輪もアスリートの大会であるにも関わらず、最近の新種目はサーカスか、曲芸か、という種目ばかりで、更にいつも物議をかもす採点種目が多い。

例えば、ハーフパイプの競技。半円筒状のコースをスノーボードやスキーで滑り、空中に飛び上がって技を競う採点競技。新種目のフリースタイルスキー、バック出来るスキーとストックで空中に飛び出す。スキーは、雪国で交通・輸送の手段として考案された用具が、近代になってスポーツとして活用された。これをバックで滑り、演技して、どんな価値や意味があるのか。ただ単なる“遊び"ではないのか?

採点競技と言えば、古くから体操競技フィギュアスケートがある。男女フィギュアスケートは、1908年ロンドン大会からの種目。いずれも長い歴史と伝統がある競技で、人間の美と限界に挑戦するアスリート競技である。欧米の若者に人気があるからと言って、果たしてハーフパイプの種目は、五輪種目に値するのか?今大会でも、女子フィギュアの採点を巡り、国際スケート連盟が“採点方式に問題なし"の声明を発表する事態になった。もうこれ以上、人間の主観が入る競技は増やすべきではない。

更にスピードスケート・ショートトラック。縦30㍍、横60㍍のスケートリンクでは、毎回先頭を競っていた選手が転倒、後方にいた選手がトップでゴール、走路妨害を巡り紛糾。何を競う競技なのか?それも可愛らしく一種目ならクレームを付けないが、男女とも4種目もあるのだ。

ネットの中でも、

○採点競技は五輪から外すべきだ。

○人間の主観が入る競技は不公平。

○タイムとか距離とか、誰にでも分かるもので競えばいい。

ーとの意見が掲載されているが、吾が輩も大方賛成である。

思い返すと、冬季五輪がおかしくなったのは、94年のリレハンメル大会後。92年五輪まで、冬季も夏季も同じ閏年に開催していたが、これを2年ごとの隔年開催にするために冬季五輪を2年ずらし、前回大会からわずか2年後に開催。IOCの説明は「同じ年に冬季と夏季五輪を開催するのは大変だ」との理由。要するに、五輪開催を2年置きにした方が、スポンサー獲得が容易だという事。

この時、もう一つIOCが検討した事がある。それは冬季五輪の種目が少ないので、夏季五輪で実施されている団体球技を冬季五輪で実施するとの案。具体的には、バレーボール、バスケットボールなどである。しかし、競技団体の反対にあって断念。そこでIOCは、新種目を増加して、資金集めに利用することにした。そのため、吾が輩から言わせれば“くだらない"という競技が増えたのだ。

IOCと吾が輩とでは、スポーツに対する考え方が全く違うようだ。IOC幹部は昨年、「これからは楽しい種目を五輪で実施したい」と発言。要するに、IOCの理事・欧州貴族は、スポーツを“遊び"として捉えていて、面白くないスポーツは五輪種目から外そうとしている。その最初の犠牲者が“レスリング"になるはずであった。欧州貴族は、歴史や文化などよりも、運営資金を集められる種目を採用したいようだ。

最後に、浅田真央。浅田は、ある面、IOC商業主義の犠牲者である。何故なら、以前の冬季五輪と同じように、閏年に開催されていたら、19歳と23歳ではなく、17歳と21歳の時に出場できた。17歳の時は、全盛期であったので、金メダルを獲得したと思う。その年の世界選手権では、優勝しているのだから確率は高い。我々平民は、欧州貴族によって“一喜一憂"させられているのだ。