元福島第一原発所長・吉田の死に思う事

昨年末、門田隆将氏が、元福島第一原発所長・吉田昌郎と面談して出版した「死の淵を見た男」を書店で見かけたが、読む気がしなかった。しかし、吉田氏が7月9日に亡くなった事と、門田氏が以前「この命、義に捧ぐ、台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」という素晴らしい著書を出版していたので読む事にした。

なぜ読む気がしなかったと言えば、原発が余りにも大津波に対する“想像力の欠如"の元で建設された事と、年間役員報酬7200万円を貰っていた元会長・勝俣ら東電幹部に対する激しい怒りがあったからだ。

福島第一原発の津波の想定は、建設時には約3㍍、その後、2009年には、およそ6㍍の高さへの対策となった。また、吉田氏が担当部長当時の2008年、東電社内では東北沖で強い地震が発生した場合、最大15、7㍍の大津波が原発に押し寄せる可能性があるとの試算を出したが、何らの対策も取らなかった。

門田氏の著書の中で、吉田氏は「それでも、大きくても5、6㍍のものを考えてのことです。まさか、あんな十何㍍もの大津波が来るとは思っませんでした」と発言している。

吉村昭氏の著書「三陸沿岸大津波」を読んでいると、太平洋沿ではどこの地点でも20㍍の大津波が押し寄せる事が、誰でも想像出来る。原発関係者は、自然災害について、どんな著書を読んでいたのだ!

マスコミは、吉田氏を「あの人だから団結できた」という声を紹介している。また、門田氏の著書の中では、

○高2で、般若心経をそらで覚えてて、私の前でスラスラと披露してくれました。吉田はその頃から宗教的な面に関心がありましたね(高校時代の友人)

○若い頃から宗教書を読み漁り、禅宗の道元の手になる「正法眼蔵」を座右の書にしていた。夫は、お寺まわりが趣味で、いつも人間の生と死を考えていた(妻)

ーと紹介している。あの過酷な状況の中で、冷静沈着に対応出来たのは、宗教の力なのかとも考えた。

最後に、東大や東工大卒は、学校の勉強は優秀であるかもしれないが、想像力は別ものである事が、今回の原発事故で良く分かつた。