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大関・稀勢の里の綱取り

今日から大相撲名古屋場所がはじまる。今場所最大の注目点は、大関・稀勢の里の綱取りにあるようだ。しかし、私は絶対に優勝しなければ横綱に昇進させてはならないと考えている。

横綱審議委員会は、昇進条件を「大関で2場所連絡優勝、またはそれに準じる成績」と定めている。だが、稀勢の里は、幕内優勝は1回もなく、さらに先場所は白鵬に2差をつけられた準優勝。2年前に引退した魁皇は5回も優勝しているが、横綱に昇進出来なかった。

大相撲歴代横綱一覧表を見たことがあるだろう。これには70人の横綱名が記載されているが、唯一60代横綱・双羽黒だけが幕内優勝“なし"になっている。こんなみっともない成績の力士を二度と横綱にしてはならない。だから、昇進のためには“最低優勝"なのだ。

実は、私は元横綱双羽黒(北尾から改名)の幕下時代、一緒に飲食した事があり、写真も保持している。昔、東京近辺の好角家の集まりである某会が、幕下の有望力士である19歳の北尾君を招待した。

この某会のメンバーには、東大卒で大相撲雑誌に寄稿している人、その後大相撲の論文を発表した大学教授も参加していた。また、大相撲が大好きで、知識が豊富な事から、先輩会員の推薦で大相撲の雑誌社に入社した若者もいた。

私は小・中学時代から身体は小さかったが、相撲は強く、同級生にはほとんど負けた事がない。職場でも「相撲博士」と呼ばれた事もあるので、自然の流れで某会員になった。ところが、好角家の話しを横で聞いていると、「○○が○○でチャンコ店をオープンさせた」と言うので、私が「それ誰ですか」と尋ねると、三段目で廃業した力士。私は、十両以上の力士は大体知っていたが、幕下以下で廃業した力士の事は全く分からず、彼らの会話にはついていけなかった。まあ、良くも知っているものだと感心した。

某会が終了後、若者5人(私が一番の年長者)前後が北尾君を誘って二次会に行った。一次会では、北尾君は未成年という事でアルコールは飲食しなかったが、二次会ではビールを飲食していた。北尾君とは、色々と話しをしたが、悪い印象は全くない。好青年という印象しか残っていない。

二次会が盛り上がったところで、三次会としてカラオケに行く雰囲気になってきた。どうも年長者の私の懐を期待してのカラオケ行きなので、多少先輩振りを発揮して、テーブルに2万円を置いて引き上げた(笑)。私は、三次会、四次会に行けるほど、アルコールは強くないのだ。今から弁解しておく。

その後、北尾君は双羽黒として横綱に昇進、わずか8場所の横綱で廃業。年齢も24歳で、全くもって残念な廃業であった。廃業の原因は、師匠の立浪親方(元関脇・安念山)との関係悪化であるが、立浪親方がもう少し人格者であれば廃業する事もなかった。立浪親方は、娘婿の現立浪親方とも年寄株をめぐって金銭トラブルになり、裁判で負けている。要するに、双羽黒の師匠は、師匠に値しない人物であったのだ。現在では、その説が有力になっているようだ。

戦後の大相撲界では、横綱玉の海の急死と共に残念な歴史を作った横綱になった。もしも、この二人が力士生命を全うしたならば、大相撲の歴史を大きく変える事が出来た。誠に残念な廃業であった。

さて、稀勢の里である。絶対に、絶対に、稀勢の里が大関時代に優勝しなければ、横綱に昇進させてはならない。二度と絶対に、幕内優勝回数“なし"の横綱を歴史に残してはならないのだ。