遠軽高校に大中寅二の顔写真を贈呈

4冊目の自費出版を考えると、表紙と裏表紙の写真に悩んでしまう。というのも、1冊目は遠軽町の「瞰望岩」の夏景色と冬景色、2冊目は瞰望岩の冬景色をバックにしたJR特急「オホーツク」と、沖縄県糸満市の荒井退造「終焉之地」碑、3冊目は北海道音威子府村の「北海道命名之地」碑と北海道滝上町の「芝ざくら」という風に、すぐにパーッと頭に思い浮かんだ。ところが4冊目は、コロナ禍の影響もあり、7月12日に開業した北海道白老町の国立施設「民族共生象徴空間」(愛称・ウポポイ)を訪ねられず、なかなか良い写真が思い浮かばないのだ。

そうした中で、遠軽高校校歌の作曲家・大中寅二(1896年〜1982年)の仕事場(オルガニストとして20年から79年まで務める)である東京・赤阪の「霊南坂教会」と、大中寅二の顔写真が思い浮かんだ。調べると、霊南坂教会は1879年(明治12年)創立で、1980年には三浦友和山口百恵が結婚式を挙げるなど、日本キリスト教会の中心的な存在で、著名な教会であることを知った。

そこで7月20日霊南坂教会に電話を入れ、応対に出た女性職員に対し、霊南坂教会と教会に保存されている大中寅二の顔写真の撮影を希望した。それに対し、女性は「それならば、大中寅二の奥さんが健在なので、連絡してあげます」というので驚くと、同人は「前妻が早く亡くなったので、二人目の奥さんです」という。そうであろう、息子の大中恩氏は一昨年12月に94歳で亡くなっているので、どう考えても理屈が合わないからだ。

その後、すぐに奥さんから電話があり、吾輩は「大中寅二が校歌を作曲した北海道遠軽高校の卒業生です。自費出版の本に、霊南坂教会の写真と大中寅二の顔写真を掲載したい。また、遠軽高校に大中寅二の大きな顔写真を贈呈したいので、風格のある顔写真を写真屋で現像してほしい。費用は、私が負担します」と伝えたところ、相手は「私は、女学校を最後に入学した世代で、最近、この手の連絡が多く喜んでいます。それでは、大中寅二の顔写真を選んで、大きくして置きます」という返事であった。

ところが、待ちに待ったが連絡がないので、霊南坂教会の女性に連絡したところ、奥さんは体調を崩して動けないという。そこで急遽、教会にある顔写真を探すことになり、9月13日(日)に「2枚の顔写真が準備できました」という連絡がきたので、すぐ翌日に赴くことにした。

翌14日に霊南坂教会に赴いたが、隣にはアメリカ大使館やサントリーホールがあり、場所柄からして著名な教会であることが理解できた。対応した女性職員は、さっそくブルーレイのDVDを差し出してくれた。その後、教会内を案内してくれたが、それはそれは歴史を感じる教会であった。まずは、大きな礼拝堂に入ると、日曜礼拝の際に演奏されるパイプオルガンがあった。たまたま教会を訪れていた演奏者が、ある曲を演奏してくれたが、音はパイプというよりも天井から聞こえてくる感じであった。演奏後、演奏者は「数年前、父親がもう一度、以前に居住した鴻之舞(紋別市)に行きたいというので、一緒に行きました。だから、遠軽町のことは知っています」と言うのだ。

そう言えば、前日電話で話した教会関係者も「私は遠軽町には何回も行っています。家庭学校の創設者は、この教会の出身者・留岡さんであるからです」というのだ。

続いて、二階に上がり、壁に15人くらいの顔写真が掲げられた部屋に入ったが、その中に北海道家庭学校を創設(1914年)した「留岡幸助」(1864〜1934)の写真も掲げられていた。さっそく、同人の顔写真を撮影したが、如何に霊南坂教会と遠軽町が関係が深いかが解る瞬間であった。

さて、自慢ではないがメカに弱いので、霊南坂教会を出た後が大変であった。帰宅途中、カメラ専門店(北千住)に立ち寄ったが、ブルーレイのDVDから吾輩のカメラのSDカードに移し替えできないという。翌日も、電化製品のチェーン店、個人のカメラ店、仕舞には我孫子市役所を訪ねて相談し、最後は柏市の「ビッグカメラ店」で「フジカラーCDデジタル」にして問題が解決した。

帰宅後、遠軽高校の教頭先生に電話を入れ、これまでの経緯を説明して「明日、顔写真が入ったCDを送ります」と連絡した。さらに、事実関係を残すために「北海道新聞遠軽支局に電話を入れ、現在までの経緯を説明した。

そして、16日(水)には、次のような手紙とともに、CDや霊南坂教会の資料などを遠軽高校に郵送した。

ー拝啓

突然の手紙、お許し下さい。私は昭和45年の卒業生です。

さて、以前から「でんすけ」という書物を自費出版しているが、4冊目は遠軽高校の校歌を作曲した大中寅二の写真を掲載することにした。その際、母校に大きくした顔写真を贈呈することを考えてきたが、諸々の事情で、大中寅二が勤めていた東京の「霊南坂教会」からブルーレイのDVDで顔写真を入手することになった。ところが、DVDからは簡単に写真ができず、電気店で「フジカラーCDデジタル」にして、送付することになった。

私の希望としては、顔写真2枚を高さ80センチくらいにして、卒業式や入学式など、生徒全員が校歌を歌う際、壇上の下に並べ、普段は校長室の廊下側とか、音楽室に掲げておけばと考えました。

以上の望みは、私の希望であります。つまり、この望みは“センス"のある提案なのかはわかりませんが、末永く母校や校歌を愛する気持ちを持続することに繋がると考えます。

取り急ぎ、ご検討のほど宜しく、お願いします。敬具

以上、大中寅二の顔写真を遠軽高校に送付するまでの経緯を紹介した。そういうことで、これからは遠軽高校に期待することになったが、吾輩の願いが叶えらればと考えている次第である。