日本も中国並みに対ロシア脅威の意識を

昨日の「産経新聞」の記事「新聞に喝!」は、我が輩と同じ認識であるので、全文を紹介する。見出しは「中国並みに対ロシア脅威を」で、書いたのは神戸大学大学院法学研究科教授・蓑原俊洋(昭和46年米カリフォルニア州出身)である。

先日、米ワシントンを訪問した際の話しである。ドイツ政府主催のディナーに招かれ、駐米ドイツ大使による国際政治情勢を悲観する印象的なスピーチを聞いた。最大の懸念は中国とロシアだと言い切る。大使は両国を法の支配と自由主義に基づく国際秩序に対する挑戦者だと位置づけ、われわれが尊いとする価値観を擁護するため一致団結して行動に迫られる日は必ず到来するという。1930年代の自国の歴史が念頭にあるのか、大使の話しはすごみと説得力があった。

意外だったのは一外交官が公の場で、両国を民主主義に対する脅威として名指しし、明白に批判したことだ。私は日本の外交官がここまで(特にロシアに対して)厳しいスピーチを行うのを聞いたことがない。これは安倍晋三政権がロシアへの経済援助と引き換えに、北方領土問題について何らかの譲歩を期待していることと無関係ではなかろう。

ロシアによるウクライナ南部クリミア半島への侵略・併合が国際法に反した武力による国境変更の試みであるとの事実は忘れ去られ、同地の住民はロシアへの帰属を求めていたのだから致し方がないとの意見すら耳にする。こうした意見は、仮に沖縄の県民が中国への帰属を求めれば中国が同県に侵略・支配したとしても問題ないというような、暴論にもつながりかねない危ない考え方だ。

先月参加したある国際会議でも、欧州を筆頭に各国防大臣はロシアに対して厳しい言葉の放列を敷いた。ロシアは北大西洋条約機構(NATO)加盟国への偽情報拡散や各種のサイバー攻撃を行い、イギリスでは軍用レベルの神経剤を用いて元スパイの暗殺を試み、その二次被害も起きている。アメリカでも一昨年の大統領選にロシアが介入したことによる余波は続いており、マティス国防長官は今もロシアに対して厳しい言葉を向けている。

にもかかわらず、西洋自由主義社会の本流から隔絶されているのか、日本ではロシアに対する批判はあまり聞こえない。いつも中国を糾弾する右派勢力もロシアについては静かである。世論の全般的な無関心を反映してか、日本のメディアがロシアの脅威を語るのはまれで、言及しても中国と比較すれば雲泥の差がある。中国、ロシアともに自由主義をないがしろにする隣国であるにもかかわらず、扱いにここまで違いがあるのは摩訶不思議だ。

先週のこの欄で門田隆将氏は、「新聞はなぜ問題の本質を突かないのだろうか」と問うた。全く同感である。国際政治でも本質を突く報道は不可欠だ。日本を取り巻く国際情勢は今後厳しさが確実に増していくという現実を、国民に啓蒙するのもまた、新聞の重要な使命なのだから。

紹介した記事の内容は、我が輩の以前からの認識であるので、蓑原教授の文章には敬服した。つまり、いずれは自由主義国家群と、ロシアとの激しい戦いが始まるという見解は、一つの“歴史観"と思うのだ。

我が輩は、以前から日本の首相たるものは、それなりの“歴史観"を持たないとダメだと考えてきた。その意味で、安倍首相には多少不満を感じているが、元首相・中曽根は非常に歴史観を重要視する人物と思える。例えば、首相在任中(1982〜87)に訪中した際、元総書記・胡耀邦と会談後に記者団から「何を話したのですか」との問いに、本人は「ロシアに騙されるな、と言ってきた」と述べ、にやりと笑ったのだ。その時、中曽根氏なりの歴史観を披露してきたなぁと思った。そのほか、中曽根氏の言動を聞いていると、歴史観に立脚したと思われる話しが多いのだ。

そうだ、中曽根氏の首相時代の面白い話しがある。首相在任中、国会答弁で「ソ連」というべきところを「ロシア」と言うので、朝日新聞などは「中曽根首相は古い人間だ」と言って、批判めいた記事を掲載していた。しかしながら、今から考えると、旧ソ連のことを「ロシア人の国」という意味で使用した面も無きにしも非ずで、それを考えると、中曽根氏はなかなか先見性があるとは思いませんか(笑)。

最後は、17世紀フランスの天才学者・パスカルの言葉「正義なき力は暴力である。力なき正義は無効である」という名文句を紹介する。まさに、日本は自由主義国家群の一員である以上、この言葉を噛み締めて、今後の国際情勢を眺めて欲しいのだ。