「吉村昭記念文学館」がオープン

「戦艦武蔵」「関東大震災」「ポーツマスの旗」「桜田門外ノ変」「高熱隧道」「闇を裂く道」「ふぉん・しいほるとの娘」「長英逃亡」「生麦事件」「大黒屋光太夫」などの作品で知られる作家・吉村昭(1927〜2006)の足跡を展示する「吉村昭記念文学館」が、3月26日、出身地の東京都荒川区にオープンした。同館は、吉村氏の存命中から計画されていたもので、本人の了解を得て、荒川区が建設した複合施設「ゆいの森あらかわ」の一画に開設したものである。

という訳で、3月下旬に複合施設を訪れたが、同館は図書館の2・3階の一画に開設したという感じであった。展示品の中には、自宅の書斎が忠実に再現されたり、特注した机や来館者が座れる椅子も置かれていた。更に、蔵書を展示したり、吉村作品を映画化した「桜田門外ノ変」を上映していた。この映画は、以前に映画館で観たが、改めて鑑賞してしまった。

展示品を見ていたところ、老人二人が吉村氏を批評していたので、筆者が「吉村さんと会ったことがあるのですか」と尋ねたところ、一人が「一度だけ会ったことがある」との返事。そこで筆者が「私は、電話で一度だけ話したことがあるが、一度会ってみたかった。でも、奥さん(作家・津村節子)がある雑誌で『気難しい人だから、会った人は愉快ではなかったと思う』と書いていたので、会わなく良かったのかなぁ」と述べたところ、その人は「まあ、そうだなぁ」との返答であった。

筆者は、以前から吉村氏の作品が大好きで、8〜9割り方は読んでいる。最初に読んだのは、北海道開拓時代(1915年12月)に起きたヒグマ事件で、一頭の巨大ヒグマが一週間にわたって開拓部落を襲い、七人を食い殺して三人に重傷を負わせた悲惨な事件を扱った小説「羆嵐」(1977年刊)である。その後、作品が発売されるたびに購入してきたが、昔から知り合いに「吉村昭を知っているか」と尋ねるが、意外に知らない人が多い。特に、女性で知っている人は、ほとんどいない。男性と女性の関心の違いと同時に、男女の脳の違いを感じてしまう。吉村作品は、徹底した資料調査や関係者の証言収集で書かれているので、吉村氏は「記録小説」の大家と言われている。筆者にとっては、歴史小説の大家・司馬遼太郎と並び称される作家と考えているが、残念ながら余り知られていない。

そうした中で、2011年3月11日に「東日本大震災」が起き、その後の13年6月11日、天皇陛下荒川区の区立日暮里図書館で開催中の企画展「吉村昭『海の壁』と『関東大震災』」を観覧した。この報道に接した際、筆者は「天皇陛下は、吉村昭の作品『三陸海岸津波』を読んでいれば、原発を10㍍以下の地盤に建設しなかったハズだ」という“無言の抗議"を感じた。筆者も、同じ考えであったので、非常に嬉しくなった。

そのほか、吉村作品には、北海道に関する作品も多く、前述の「羆嵐」のほか、北海道開拓の囚人を扱った「赤い人」、網走刑務所の脱獄人を扱った「破獄」などがある。特に「羆嵐」に関しては、一昨年に文庫本として発売された「慟哭の谷ー北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件」(著者・木村盛武)を読んで、吉村氏が書いた背景を知った。それによると、「羆嵐は、木村氏の書いた資料を参考に書かれたもので、その資料が前記の文庫本なのだ。また、その文庫本の中に懐かしい名前を発見した。著者(1920年生まれ)が、小樽水産学校時代の1938年8月13日、実習生として北千島幌莚(パラムシル)島を訪れた際、級友の「高見佳兵衛(元道立遠軽高校教諭)」と一緒に山に入った。ところが、2,30分ほど前に先発した二人のうち一人がヒグマに惨殺され、その死体を発見したという。最初は、高見佳兵衛のことを思い出さなかったが、更に「同級生で柔道二段の猛者、高見佳兵衛君」と書かれた部分で思い出した。確かに、筆者の在学中に簿記の先生で、体付きのがっしりした柔道部顧問の先生がいたことを思い出したのだ。特に名前が珍しいので思い出したが、まさか、あの先生が、あのような経験しているとは、と驚いてしまった。

最後は、同館に対する要望である。以前から全国各地の博物館や記念館の問題点として、パンフレットの有無について指摘してきた。ご多分に漏れず、同館にもパンフレットが備えられていなかった。筆者が受け付けの案内人2〜3人に「パンフレットを置いていないのですか」と尋ねたところ、「来年夏ころにはできる」という返事。そこで筆者が「日本の博物館は、どこも問題がありすぎる」とクレームを付けたところ、案内人は「オープン前まで多忙であった」と弁解した。しかしながら、遠来の熱心な来館者に対して、“何の資料も持ち帰りさせなくて良いのか"と思うのだ。パンフレットがあれば、より吉村昭氏に対する理解が深まり、来館者も増えて、同館が繁栄すると思うのだが…。

遠軽高校ラグビー部に栄光あれ!

例年4月1日は“人事の季節"で、嬉しいこともあり、寂しいこともある。筆者にとっての今年は、実に寂しい季節になった。何故なら、遠軽高校ラグビー部の監督と部長が、異動になるからである。

特に監督は、遠軽高校在職17年で、ラグビー部監督は14年であったので、ある面、仕方がないことと思う。思い返すと、一昨年までの6年間で5回も花園出場させたことは、ラグビー部史上“最大の功績者"と言える。その間、筆者は毎晩ネットで“ラグビー部のブログ"をチェックすると共に、月刊誌「ラグビーマガジン」を定期購読してきた。更に、後輩のプレーを観戦するために、関東地方の色々なラグビー場を訪れたし、全国高校ラグビー大会の会場である花園にも2回ほど赴いた。もしも、母校が花園出場を獲得しなければ、永遠に高校ラグビー界の聖地・花園ラグビー場を訪れることもなかった。

筆者は、元々ラグビー好きであったが、その大元は高校時代の体験にある。実は、筆者の高校2・3年生時、ラグビー部が二年連続で花園に出場した。3年時には、花園出場決定後に、練習試合に駆り出されたことがある。何せ、ラグビー部の練習相手が近くに存在しないので、ラグビー部のレギュラー落ちと、陸上部、柔道部、レスリング部などの仲間とチームを結成して、練習試合をしたのだ。

大学時代には、体育の授業でラグビーを選んだが、当然のごとく高校時代の体験が影響している。更に、同級生が法政大学のレギュラーとして出場していたので、秩父宮ラグビー場に赴いたこともある。筆者の学生時代は、早稲田、明治、法政の三校が強豪で、その中の一つに同級生が進学したのだ。

今年も3月末、ラグビー部員が、茨城県竜ヶ崎市の流通経済大学で合宿を行った。この合宿には、全国の有力校が参加し、連日、練習試合を行う。筆者は、5年くらい前から、大量の差し入れを行っているので、今では年中行事になった。最初は何を差し入れしたら良いのか困ったが、生徒の希望を聞いているうちに、甘夏、バナナ、イチゴ、チョコレート、ビスケット、ケーキなどに落ち着いた。

後任の監督は、遠軽高校ラグビー部OB(三十代)ということであるが、前任地の高校にはラグビー部が存在しないので、多少心配していた。ところが、練習試合では、レフリーを務めていたので、監督に「長年、ラグビーから離れているので心配したが、レフリーができるくらいなら大丈夫ですね」と尋ねたところ、監督は「それくらい出来なければ、遠軽高校ラグビー部を任せられない。問題は、まだラグビーチームを作り上げた経験がないことだ」と説明した。この自意識の強さに驚くと共に、嬉しくもなった。

さて、現在の部員数は選手8人という悲惨な状況下にある。もしも、新年度に1年生が7人入部しないと、チームが編成できない。急速な弱体化には驚いているが、その原因は地方の人口減少と少子化の影響があるものと考えている。

そこで最後は、新入生に訴える文章を作成することにした。

そもそもラグビーという競技は、1823年に英国のパブリックスクールが起源とされているが、その後は英国の植民地・インドを支配するために、エリートの頭脳と同時に体力を養うために普及したという側面もある。つまり、ラグビーは人を育てるには最高のスポーツなので、「紳士のスポーツ」とも言われている。そのような背景から、日本でも戦前は大学を中心に普及してきた。戦後の高校ラグビー界も、旧制中学の流れを汲む高校が中心に普及した。オホーツク管内でも、北見北斗高校を中心に、遠軽高校と美幌高校が対抗校として活動してきたが、いずれの高校も戦前からの学校である。

この4月1日には、遠軽町ラグビーとサッカーの試合会場「えんがる球技場」(人工芝生コート二面)がオープンする。その意味するところは、主にラグビーを通じて町おこしに繋げる意図がある。つまり、遠軽町はもう一つの有力な部活動である吹奏楽部を通じての“音楽の街"、そしてラグビーを通じての“ラグビーの街"を標榜して、人を招き入れたいのだ。その意味では、ラグビー部の強化は喫緊の課題であるし、町の活性化に繋げる事業でもある。

今年入学する諸君!運動部に入る予定であるならば、是非ともラグビー部に入って欲しい。ラグビーは、団体球技種目の中では、最も出場選手が多い15人で、日本人の特長である“纏まり"を学べる場でもある。また、ラグビー精神を言い表している格言「One fOr AII、AII fOr One」(1人は皆のため、皆は1人のため)は、まさにラグビーの本質である“自己犠牲の精神"を表現している。

諸君、今年入部予定者の中には、素晴らしい選手がいる。だが、ラグビーは一人だけ優れた選手がいても、仲間がいないと勝利することは出来ない。だから、どうしても君たちの力が必要なのだ。エリート校の端くれの高校に入学した以上、そして社会のエリートになりたければ、是非ともラグビーに親しんで欲しい。社会に出た時、絶対に損をすることはない。何故なら、社会のエリートに“ラグビー嫌いがいない"と断言出来るからだ。大量入部の吉報を待ちたいと思う。

JR北海道の問題点と対策

道内の鉄道網のあり方を検討してきた道の「鉄道ワーキングチーム」(座長=岸邦宏・北大准教授)は、2月7日に「将来を見据えた北海道の鉄道網のあり方について」という報告書を発表した。具体的な線区は挙げていないが、北見・網走を中核都市群と位置づけて“石北線"、更に北方領土隣接地域を考慮して“宗谷線"と“根室線"の存続を想定している。北海道知事も、報告書を尊重すると発言しているので、今後はJR北海道と沿線自治体との協議が本格的に始まるようだ。

そこで、有力な鉄道関係者は、現在のJR北海道の現状をどのように見ているのかを紹介したい。紹介する人物は、全てJRの有力者であるので、今後のJR北海道の経営を考える上で、非常に参考になると思う。

葛西敬之JR東海代表取締役名誉会長の言

JR四国は仕方がない面がありますが、JR北海道は30年間を本当に有効に使ったかを検証してみるべきです。JR北海道は借金ゼロの上に、6822億円の経済安定基金を持ってスタートしました。金利が下がったから稼げなくなったというだけでなく、もっとファンダメンタルな経営戦略で問題はなかったのでしょうか。

大きな事故が起きてしまう前までに、整備を食いつぶしたようにも見えます。もっと早く手を打っていくことで事故を起こさずに、よりいい形がとれたかもしれない。どうにもならない路線は、トラブルが起きる前に早めに道路へ転換する努力をする余地があったかもしれません。ー(週刊誌「日経ビジネス」より)

松田昌士(北見市出身)・JR東日本顧問の言

北方領土問題がある中、根室につながる路線を廃止するわけにはいかない。旭川〜稚内間はできるだけ直線にする。畑ばかりの地域であり、線路に隣接する畑と交換すれば直線化は可能だろう。沿線は観光資源も多い。観光列車としても大いに活用できる。そのために運賃を上げる方法もあるかもしれない。しかし、やるべきことをやらないで上げてしまうと、国鉄時代と同じで「貧すれば純する」になる。ー(「産経新聞」より)

○井出正敬・JR西日本元会長の言

JR北海道の経営陣は、過激分子も入り込んだ労働組合の意向に、配慮し過ぎているように見えます。ー(「北海道新聞」より)

以上の発言を読むと、何となく現在のJR北海道が抱える問題点が理解できるし、今後の見通しも予想できる。つまり昨年11月18日、JR北海道が自社単独では維持できないと発表した10路線13区間のうち、名寄稚内間、釧路〜根室間、東釧路〜網走間、新旭川〜網走間を除いた路線は、近いうちにバス転換になることが予想できる。鉄道最大の特性である“高速の大量輸送"を発揮できない線区である以上、致し方ないと考える。

それでは、絶対に廃止してはならい札幌〜稚内間、札幌〜網走間、札幌〜釧路・根室間は、今後どのような施策で維持・管理していくのか。筆者は、以前から“北海道開発予算"を投入するべきと主張しているが、果たしてどのような施策が打ち出されるのか、非常に関心がもたれる。いずれにしても、JR北海道と北海道にとって、非常に重要な時を迎えていることは確かである。

それにしても、道議会の存在感が無さ過ぎる。そもそも北海道には、昨年度に開発予算が5417億円、更に地方交付税が6522億円という膨大な国費が投入されている。それを考えると、JR北海道の経営赤字200億円程度は大した金額ではない。道議会は、議会費(約34億円)を削減してでも、JR北海道を支援する資金を確保する議案を提出するべきである。

再び、カジノ設置に賛成!

筆者は以前(2013年8月30日)に、「カジノ設置、賛成!」という文章を作成した。しかしながら、多くの日本人はカジノによる“ギャンブル依存症"を心配して、日本にカジノを設置することに反対している。そこで、もう少し説得力のある文章を考えていたところ、カジノの資金を子会社から借り入れて、会社法違反(特別背任)の容疑で逮捕された井川意高氏の著書「溶ける」(幻冬舎文庫平成29年1月30日発行)が出版されたので読んでみた。

まず最初は、井川氏が“ギャンブル依存症"に陥った背景を明らかにしているので紹介したい。

私には、パチンコやパチスロにハマって破滅する主婦の気持ちがよくわかる。不可分所得をはるかに上回るカネをパチンコやパチスロにつぎこみ、サラ金やクレジットカードから上限までカネを引っ張り、最後は法外な金利を取る闇金からもカネを借りてしまう。本人の支払い限度額をはるかに超えたとしても、「なんとか勝負に勝ちたい」という強迫観念にとらわれて、どこまでもギャンブルを続けてしまう。

総額100億円を超える金額をつぎこんだ私の場合、パチンコやパチスロとは比較にならないと笑う読者もいるだろう。しかし金額の多寡はともあれ、ギャンブル依存症に陥る人間の心理はまったく同じだ。たまたま億単位のカネを動かせる立場だったがために、私のギャンブル依存症は数百万円どころかケタをいくつも飛び越えてしまっただけだ。

…聞くところによれば、私の曽祖父はバクチと女で身代をつぶしたそうだ。そのため、大変貧しい暮らしを余儀なくされた祖父はバクチが大嫌いだったと聞く。ということは、バクチ狂いは祖父や父からの遺伝ではなく、私だけに引き継がれた曽祖父の血なのだろうか…。

井川氏が刑務所を出所したその日(16年12月14日)の夜、国会でカジノ法案が成立したという。朝日新聞がカジノ法案に反対していることに対して、「なんで他人がオカネを使うことをそんなに心配してくれるの?」という嫌みを書いている。そうです、井川氏は法律を犯したことについては“懺悔"しているが、カジノを行ったことに対しては何ら反省していないのである。

このほか、井川氏のギャンブルに対する“考え方"を紹介したい。

○トマス・ホッブス(イギリスの哲学者)は「人権の中には愚行権もある。他人の権利を侵さない限り、どんなに自分にとって不利なことであっても自己決定する権利がある。愚行権基本的人権の一つだ」と言った。愚行権を否定するのであれば、人はカジノどころか山登りや冒険もできなくなってしまう。

○106億8000万円を溶かした私をシンボル操作に利用している時点で、朝日新聞は論点がズレまくっているのだ。「カジノはいけない」という感情論がまず最初にあり、後付けで強引に理屈を考えているのであろう。

○日本の“ギャンブル依存症"は成人の5%で、世界のほとんどの国では成人の1%前後に止まる。それを考えると、メディアはカジノを批判する前に、パチンコや競馬、宝くじの問題点を指摘するべきだ。そちらを放っておいて「カジノを作るな」と反対するのは、明らかに論理が破綻している。

さすがに、東大法学部卒だけあって、理路整然とした文章である。井川氏の解説で、カジノに対する考え方が整理されましたか?

最後に筆者の基本的な考え方を書きたい。つまり、世界第三位の経済大国で、民主主義体制である国家が、世界に認知されているカジノを禁止して良いのか、ということである。そこには、個人の自由に対する当局の干渉が隠されており、当局にカジノ設置の成否云々を任せることに抵抗を感じるからである。こんな文章を作成していると、筆者はギャンブル大好き人間と思われるが、パチンコは多少するものの、そのほかのギャンブルはほとんどしません。悪しからず!

国と国民を守るのは地方出身者か!

3月7日付け「産経新聞」の紙面(千葉版)に、県内から自衛隊に入るたちの門出を祝う「県自衛隊入隊・入校予定者激励会」の記事が掲載された。入隊・入校予定者は、約220人という。一方、北海道の遠軽地区でも3月4日、「平成28年度遠軽地区自衛隊予定者壮行激励会」が開催された。入隊予定者は21人という。

そこで筆者は考えた。つまり、遠軽地区は人口の割りには、入隊予定者が多いのでないか。遠軽地区(遠紋地方)の人口は約7万人で、千葉県は約620万人であるので、遠軽地区は人口百人当たり0・03人、千葉県は人口百人当たり0・0035人の割合で入隊予定者がいる。それを考えると、やはり遠軽地区は、千葉県よりも10倍倍率が多い。ちなみに、遠軽高校を卒業して入隊した人数は、2年前は24人(就職者58人)、昨年は23人(就職者66人)であるので、例年ならばもっと倍率が大きかった。

思い返すと、もう半世紀近く前になるが、筆者の同級生で入隊した生徒は、二人くらいと記憶している。なぜ少ないかというと、筆者の知見の範囲であるが、当時は教師の日教組加入率が高く、入隊を後押しする教師が少なかったからと思う。それだけ、教師の影響力は大きいのだ。

もう少し、具体的に言おう。ある朝、ある教師が、校門前でビラを配り始めたところ、校内から校長ら2〜3人が出てきて、ビラ配りの教師との間で、何やら口論が始まった。我々生徒は、校舎の二階から眺めて「やれやれ」と面白がって声を出し、授業の一時間目が中止になった。つまり、当時の校内は、日教組の影響か、自衛隊に対して“冷たい感じ"を受けていた。

ところが、この20〜30年、地元に産業がないことや、公務員志向が強いことを背景に、入隊する生徒が増えているようだ。更に、地方出身者は、郷土愛が強いことから愛国心に繋がり、入隊する生徒が増えたと思う。その意味で、地方は戦前と同じように“自衛隊員の供給源"になっている面がある。

という訳で、遠軽町には陸上自衛隊が駐屯していることから、昔から自衛隊に就職する生徒が多いと思われるが、実際には違うのだ。現在では、自衛隊員が何らかの記念日に街中をパレードしており、昔に比べて街中の雰囲気も、教師の考え方もだいぶ変わってきたのかもしれない。

今回、自衛隊のことを取り上げたのは、朝鮮半島情勢が緊迫し、日本をとりまく安全保障環境が厳しさを増してきたからである。そのような状況下で、日本の防衛を担っているのが、遠紋地方のような地方出身者が多いということを知って欲しいのだ。

「道の駅」を利用して地域振興を実現したい

昨日の「読売新聞」に、「道の駅」の将来像を話し合う「道の駅2017 シンポジウム」の開催内容が、1ページ全面で報道していた。我が輩は以前から、もっと「道の駅」を利用して、地域振興を推し進められないかと思考してきたので、この記事に注目した。先ずは、新聞記事から、現在の「道の駅」の現状などを紹介したい。

○昨年10月末時点で、道の駅は全国で計1107存在する。都道府県別では、北海道117駅、岐阜県55駅、長野県44駅、新潟県39駅、兵庫県34駅の順に多い。

○道の駅が道路政策の中で取り上げられたのは1992年で、翌93年に103か所から始まった。ポイントは、24時間無料の駐車場と、清潔なトイレの提供という二つだけである。

○道の駅は、運転手の休憩施設から、地域産品の販売所、住民の活動拠点、防災機能を持った施設へと活用の幅がどんどん広がっている。

という訳で、現在では車を運転する人にとって、「道の駅」はなくてはならない施設である。と同時に、地元住民にとっても、なくてはならない施設である。その意味で、「道の駅」の設置は“道路政策"の中では、最も成功した事例かもしれない。

そこで、我が輩なりに、「道の駅」が地域の発展に貢献する施策を提案したい。つまり、地元の国道を通過する人と、「道の駅」を利用する人たちは、地域振興の“切り札"であるからだ。

先ず第一は、宿泊施設を併設する。温泉地ならば、温泉施設であれば最高であるが、風呂付きならば構わない。食事(地元の名物料理)は「道の駅」の食堂を利用して、素泊まりで三千円前後の料金にする。宿泊施設は、旅行者だけではなく、地元の住民も利用しやすくする。

第二は、地元を紹介する観光案内所などを併設する。例えば、小規模な博物館や、地元に縁のある人の銅像(現に長野県の雷電為右衛門、栃木県の二宮金次郎)を設置すれば、地元の観光施設や博物館に立ち寄る人が出てくる。

第三は、地元名産の工芸品を作るとか、地場の生産物を使用した料理を作るという“体験施設"を設置する。このほか、地元の歴史や名物を解説する“地元歴史家"との触れ合いを設定する。

要するに、「道の駅」を活用しての地域振興には、まだまだ改善する余地があると考える。その一方、「道の駅」の約8割が人口減少が進む中山間部にある以上、車による通行人を地域活性化に繋げない手はないという現実もある。どう通行人を滞在させるのか、どう通行人と交流するのか、どう通行人に地元産品を購入させるのか。いずれも難しい問題であるが、「道の駅」に改善の余地がある以上、お互いに知恵を出し合って、地域が元気になる施策を見つけ出したい。

書評「セカンドハンドの時代」

一昨年のノベール文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(ベラルーシ)の新刊書「セカンドハンドの時代ー『赤い国』を生きた人びと」(岩波書店、2700円)を読了した。しかしながら、分量が約六百二十ページであるので、最初の二百ページは丁寧に読んだが、後半はあっさり読んでしまった。それでも、1ヶ月掛かった。

読了の感想は、一口に言って“殺し"“刑死"“逮捕"“シベリア送り"のオンパレードで、今更ながら旧ソ連における“人権感覚"のなさに驚いてしまう。更に、マルクス・レーニン主義という思想の恐ろしさと、この思想を受け入れたロシアの不思議さである。

著者は1948年、西ウクライナの生まれで、父はベラルーシ人、母はウクライナ人である。著書は、聞き書きという手法で書かれているが、そのほとんどが庶民で、しかも圧倒的に女性が多い。そのためか、どうしても具体的な事柄が少なく、文学的な手法で旧ソ連の実態に迫ろうとしている。だから、ソルジェニーツィンの「収容所群島」のような体験談からくる具体性が乏しいと感じたのだ。

それでは、著者が社会主義ソ連から資本主義ロシアへの移行期に当たる時期に集めた“ソヴィエト人"の発言内容を紹介しょう。何を抜き出すかが難しかったが、主に共産主義に対する想い、ロシア人の気質などを取り上げた。

ペレストロイカのときに、すべてが終わってしまった…。いきなり資本主義がおそいかかってきた…。カネがあるやつは人間、カネがないやつはカス。

○ソヴィエト時代に許されていたのは多くの本をもっことで、高価な車や家を持つことではなかった。…わたしはそれまでお金がどんなものか知らず、お金を軽蔑していたんです。

○ロシアの小説は、どうやって実生活で成功を手に入れるか、どうやって金持ちになるか…教えてくれません。オブローモフはソファーに寝そべったまま、チェーホフの主人公たちは日がない一日お茶を飲みながら人生をこぼしている…。

○ぼくらは七十余年にわたって教えられてきた。幸福はお金にあるんじゃない、人は人生で最高のものすべてを無償でうけとるのだと。たとえば愛。…社会主義は人間をマヌケ扱いしていたんですよ。

○「きみはどっちの味方?お月さま?お日さま?」。クラスの男の子たちがわたしを尋問する。用心しなくちゃ。「お月さまよ」「正解!ソ連の味方だね」。「お日さま」と答えると「にくらしい日本人の味方」ということ。からかわれて、いじめられるんです。

○こんな社会を維持できるのは恐怖によってだけ。秘密警察によってだけなんです。もっとたくさん銃殺し、もっとたくさん投獄して。

○三十年代のことでした…農業集団化…。ウクライナは大飢饉におそわれていて、ウクライナ語でホロドモル。何百万人もが亡くなった…村がいくつも全滅した…。埋葬する人がいなかった。ウクライナ人は殺されたのです、集団農場へ行くのをいやがったから。餓死によって殺された。

○ロシアには強い腕が必要なんです。鉄の腕が。ムチを持った監視者が。だから、スターリンは偉大なんですよ!

○…わたしたちに必要なのはサハロフではなく、皇帝。父なる皇帝なのですよ!書記長あるいは大統領というのは、わが国ではやっぱり皇帝なんです。

共産主義って禁酒法みたいなものよ。アイデアはすばらしいんだけど、機能していない。

十月革命は「インテリ連中にとってのアヘン」だったのです。

○わしは共産主義者のままで死ぬよ…。ペレストロイカ、これはCIAのソ連壊滅作戦だ。

○ロシア人というのは、のめりこみやすい人間なんです。かつて、共産主義思想にのめりこんじゃって、猛然と、宗教的熱狂をもってそれを実現しようとしていた。あとで疲れて失望してしまった。

○ぼくらの国の共産主義は、テロや収容所と結びついている。…スターリンがわたしたちの隠れた英雄だということを知った。…国の半分がスターリンを待ち望んでいる…。

○蓄財はロシア人の最高目的ではない、ロシア人は蓄えるのがつまらないのだ。…ロシア人はただ生きることを望んでいるのではなく、なにかのために生きたいと思っている。

○わが国では血を流さなくちゃ大事はなされない。

地政学がわたしたちのところにやってきた。ロシアは崩壊しつつある…。もうちょっとしたら帝国の残りはモスクワ公国(ロシア帝国の前身)だけになるでしょう。

○民主主義は石油やガスでは買えない、バナナやスイスのチョコレートのように輸入もできない。大統領令で宣言することもできない…。必要なのは自由な人間、でも、そんな人間はいなかった。

次は、具体性が少ない著書の中で、具体性があり、印象深い部分(229ページ)を抜き書きしたい。

わたしは15歳だった。村に赤軍兵士がのりこんできた。馬にのって、酔っぱらって。武装食糧徴発隊だ。そいっらは夜まで寝ていて、夜になると、共産青年同盟員を全員あつめた。隊長が演説した「赤軍が飢えている。レーニンが飢えている。だが、富農どもは穀物をかくし、燃やしている」。わたしは、母の実の弟の…セミョーンおじさんが、穀物の入った袋をいくつも森に運んで、埋めたのを知っていた。わたしは共産青年同盟員だった。宣誓したのだ。夜中に、わたしは部隊をたずねて行き、その場所に案内した。やつらは荷馬車にいっぱい積みこんだ。隊長がわたしの手をにぎった「兄弟、はやく大きくなれよ」。朝、母のさけび声で目がさめた「セミョーンの家が燃えてるわ!」。セミョーンおじさんは森で見つかった…赤軍兵士たちに銃剣でめった切りにされていた…わたしは15歳だった。赤軍が飢えている、レーニンが…。外に出るのがおそろしかった。家でじっとして、泣いていた。母はすべてを察した。夜中、わたしの手に麻袋を持たせた「息子や、出ておいき!神さまがおまえを許してくださいますように、不幸な息子を」。(片手で目をかくす。それでも泣いているのがわかる)

共産主義者のままで死にたい。わたしの最後の願いだ。

…結局、彼の墓にはだれも墓碑を建てませんでした。

長年、旧ソ連の関連本を読んでいると、いっも共産主義体制の恐ろしさを感じる。ところが、この日本の中に長年、共産主義体制を“人類の理想郷"と考える人たちがいた。それは、「旧社会党左派」(日本共産党は論外)の国会議員や活動家たちであった。つまり、彼らは、それなりの学歴や学力があったが、決定的に“想像力"が掛けていた。今でも、“想像力"がないのに、それなりの地位にある人たちが大勢いる。その意味で、我々も“想像力"を養わなけならないのだ。