書評「セカンドハンドの時代」

一昨年のノベール文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(ベラルーシ)の新刊書「セカンドハンドの時代ー『赤い国』を生きた人びと」(岩波書店、2700円)を読了した。しかしながら、分量が約六百二十ページであるので、最初の二百ページは丁寧に読んだが、後半はあっさり読んでしまった。それでも、1ヶ月掛かった。

読了の感想は、一口に言って“殺し"“刑死"“逮捕"“シベリア送り"のオンパレードで、今更ながら旧ソ連における“人権感覚"のなさに驚いてしまう。更に、マルクス・レーニン主義という思想の恐ろしさと、この思想を受け入れたロシアの不思議さである。

著者は1948年、西ウクライナの生まれで、父はベラルーシ人、母はウクライナ人である。著書は、聞き書きという手法で書かれているが、そのほとんどが庶民で、しかも圧倒的に女性が多い。そのためか、どうしても具体的な事柄が少なく、文学的な手法で旧ソ連の実態に迫ろうとしている。だから、ソルジェニーツィンの「収容所群島」のような体験談からくる具体性が乏しいと感じたのだ。

それでは、著者が社会主義ソ連から資本主義ロシアへの移行期に当たる時期に集めた“ソヴィエト人"の発言内容を紹介しょう。何を抜き出すかが難しかったが、主に共産主義に対する想い、ロシア人の気質などを取り上げた。

ペレストロイカのときに、すべてが終わってしまった…。いきなり資本主義がおそいかかってきた…。カネがあるやつは人間、カネがないやつはカス。

○ソヴィエト時代に許されていたのは多くの本をもっことで、高価な車や家を持つことではなかった。…わたしはそれまでお金がどんなものか知らず、お金を軽蔑していたんです。

○ロシアの小説は、どうやって実生活で成功を手に入れるか、どうやって金持ちになるか…教えてくれません。オブローモフはソファーに寝そべったまま、チェーホフの主人公たちは日がない一日お茶を飲みながら人生をこぼしている…。

○ぼくらは七十余年にわたって教えられてきた。幸福はお金にあるんじゃない、人は人生で最高のものすべてを無償でうけとるのだと。たとえば愛。…社会主義は人間をマヌケ扱いしていたんですよ。

○「きみはどっちの味方?お月さま?お日さま?」。クラスの男の子たちがわたしを尋問する。用心しなくちゃ。「お月さまよ」「正解!ソ連の味方だね」。「お日さま」と答えると「にくらしい日本人の味方」ということ。からかわれて、いじめられるんです。

○こんな社会を維持できるのは恐怖によってだけ。秘密警察によってだけなんです。もっとたくさん銃殺し、もっとたくさん投獄して。

○三十年代のことでした…農業集団化…。ウクライナは大飢饉におそわれていて、ウクライナ語でホロドモル。何百万人もが亡くなった…村がいくつも全滅した…。埋葬する人がいなかった。ウクライナ人は殺されたのです、集団農場へ行くのをいやがったから。餓死によって殺された。

○ロシアには強い腕が必要なんです。鉄の腕が。ムチを持った監視者が。だから、スターリンは偉大なんですよ!

○…わたしたちに必要なのはサハロフではなく、皇帝。父なる皇帝なのですよ!書記長あるいは大統領というのは、わが国ではやっぱり皇帝なんです。

共産主義って禁酒法みたいなものよ。アイデアはすばらしいんだけど、機能していない。

十月革命は「インテリ連中にとってのアヘン」だったのです。

○わしは共産主義者のままで死ぬよ…。ペレストロイカ、これはCIAのソ連壊滅作戦だ。

○ロシア人というのは、のめりこみやすい人間なんです。かつて、共産主義思想にのめりこんじゃって、猛然と、宗教的熱狂をもってそれを実現しようとしていた。あとで疲れて失望してしまった。

○ぼくらの国の共産主義は、テロや収容所と結びついている。…スターリンがわたしたちの隠れた英雄だということを知った。…国の半分がスターリンを待ち望んでいる…。

○蓄財はロシア人の最高目的ではない、ロシア人は蓄えるのがつまらないのだ。…ロシア人はただ生きることを望んでいるのではなく、なにかのために生きたいと思っている。

○わが国では血を流さなくちゃ大事はなされない。

地政学がわたしたちのところにやってきた。ロシアは崩壊しつつある…。もうちょっとしたら帝国の残りはモスクワ公国(ロシア帝国の前身)だけになるでしょう。

○民主主義は石油やガスでは買えない、バナナやスイスのチョコレートのように輸入もできない。大統領令で宣言することもできない…。必要なのは自由な人間、でも、そんな人間はいなかった。

次は、具体性が少ない著書の中で、具体性があり、印象深い部分(229ページ)を抜き書きしたい。

わたしは15歳だった。村に赤軍兵士がのりこんできた。馬にのって、酔っぱらって。武装食糧徴発隊だ。そいっらは夜まで寝ていて、夜になると、共産青年同盟員を全員あつめた。隊長が演説した「赤軍が飢えている。レーニンが飢えている。だが、富農どもは穀物をかくし、燃やしている」。わたしは、母の実の弟の…セミョーンおじさんが、穀物の入った袋をいくつも森に運んで、埋めたのを知っていた。わたしは共産青年同盟員だった。宣誓したのだ。夜中に、わたしは部隊をたずねて行き、その場所に案内した。やつらは荷馬車にいっぱい積みこんだ。隊長がわたしの手をにぎった「兄弟、はやく大きくなれよ」。朝、母のさけび声で目がさめた「セミョーンの家が燃えてるわ!」。セミョーンおじさんは森で見つかった…赤軍兵士たちに銃剣でめった切りにされていた…わたしは15歳だった。赤軍が飢えている、レーニンが…。外に出るのがおそろしかった。家でじっとして、泣いていた。母はすべてを察した。夜中、わたしの手に麻袋を持たせた「息子や、出ておいき!神さまがおまえを許してくださいますように、不幸な息子を」。(片手で目をかくす。それでも泣いているのがわかる)

共産主義者のままで死にたい。わたしの最後の願いだ。

…結局、彼の墓にはだれも墓碑を建てませんでした。

長年、旧ソ連の関連本を読んでいると、いっも共産主義体制の恐ろしさを感じる。ところが、この日本の中に長年、共産主義体制を“人類の理想郷"と考える人たちがいた。それは、「旧社会党左派」(日本共産党は論外)の国会議員や活動家たちであった。つまり、彼らは、それなりの学歴や学力があったが、決定的に“想像力"が掛けていた。今でも、“想像力"がないのに、それなりの地位にある人たちが大勢いる。その意味で、我々も“想像力"を養わなけならないのだ。